「我が内なるファシズム」(3/30付「中日新聞」より) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


   (3月27日付「中日新聞」)

 「次の元号は何か」などと浮かれているうちに,高江・辺野古の米軍新基地建設とともに宮古島や石垣島などで陸上自衛隊基地建設が着々と進む。26日には宮古警備隊(ミサイル部隊約380名)が新設され,4月7日には防衛相も参加の開所式典が開かれるという。奄美大島でも26日にミサイル部隊約550人を配備。石垣島でも3月1日に陸自ミサイル部隊配備に向けた工事に着手した。鹿児島の種子島から奄美,沖縄本島,宮古,石垣,与那国の各島をつなぐ自衛隊の新設・増強ラッシュは,南西諸島の軍事要塞化というほかない。これは同時に日米の軍事的一体化も意味する。

 元号がどうのこうのと浮ついていていいのだろうか。安保関連法施行から3年で,自衛隊の増強・軍隊化,日米の軍事協力(自衛隊が米軍の艦艇などを警護する「武器等防護」)は一気に進んだ。いうまでもなく,戦後日本が安全保障政策で貫いてきたのは「専守防衛」という基本方針である。それは先の大戦の反省から生まれた理念であり,二度と他国に脅威を与える軍事大国にはならないという誓いでもある。それを反故にし,今や攻撃型空母や長距離巡航ミサイル(スタンド・オフ火力)など防衛力の増強に向けて防衛費は増え続けている。それはいつか来た道,軍事大国への道ではないのか。

 さて,その点に関して,今日の中日新聞の特集「我が内なるファシズム」で,深緑野分さんが興味深いことを言っていた。ユダヤ系イタリア人作家プリーモ・レーヴィを引いて,こう述べている。

 平和と呼ばれているものは実は休戦状態でしかない。休戦を一日でも延ばすしかわれわれにできることはない―。
 ファシズムは今も私たちの隣にあります。ファシズムの誘惑に転ばないように努力する。そこに陥っていないか繰り返し確認する。それが休戦を延ばすことにつながると思います。


 私たちは休戦を延ばす努力をしているだろうか。ファシズムに陥っていないか常に点検しているか。――少なくとも元号を予想することは,休戦を延ばすための努力とは言えないだろう。逆にむしろ休戦をいち早く終わらせ,戦争を始めようという流れに棹さす「集団行動」のようにも思える。

 「我が内なるファシズム」という特集では,片山杜秀さんもインタビューを受けていて,的確な現状認識を示していた。片山さんは戦前の体制を高く評価する点で私とは見解を異にするが,現内閣のファシズム性を指摘している点は同意する。

 今の内閣は各官庁の情報を吸い上げて力が肥大化し,戦前・戦中にはなかった強力なファシズム体制を実現させたと思います。



 「我が内なるファシズム」を絶えず点検し,休戦を一日でも先に延ばす(できることなら半永久的に延ばす)ためには,軍事大国化に反対するとともに,戦争の記憶を風化させず次の世代へと伝えていく努力も必要であろう。国内各地に残る戦争遺跡を保存していくことはその努力の一つである。しかし,先日の中日新聞の特集記事で紹介されていたように,各地でその遺跡を撤去する動きが相次いでいるという。この記事を読んで,強制連行された朝鮮人や中国人の追悼碑を撤去するなど,特に加害の歴史を否定・修正しようという動きに,私は「内なるファシズム」の顕在化,ファシズムの始まりを感じるのである。


   (3月28日付「中日新聞」)

 先日の記事でもナチスT4作戦や人工透析中止問題に触れて書いたが,治る見込みのない慢性病患者や高齢者には死ぬ権利があるとか,生産性・有用性のない者に国のお金を使う必要はないとか,そういう発想自体が,すでにファシズムの始まりなのである。そのような厳しい眼で政治的言説をチェックし批判しなければ,ファシズムの芽を摘み取り休戦を維持することはできないであろう。今はまだ休戦中なのである...。