沖縄の民意とは | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 昨年の沖縄県知事選挙でも示された辺野古新基地反対の民意などお構いなしに,政府は工事を強行し,土砂投入を続けるわけだが,24日の県民投票で反対が圧倒的多数をしめても政府は工事を続けるつもりなのだろうか。私は反対が7割程度に上るのではないかと予想するが,政府はそういう沖縄県民の意思など端っから尊重する気はなく,国内植民地としておとなしく言うことを聞け,という宗主国的な態度で投票の行方を眺めているのだろう。

 そういう政府の傲慢な態度はマスコミや言論にも伝染する。例えばマスコミや出版界でチヤホヤされている古市憲寿は,先月テレビの討論番組で「全国民から見た時に,沖縄が必ずしもプライオリティが高いわけじゃないですよね」と悪びれることなく述べていた。この発言は,政府が言いたかった本音を代弁したものと見ていいだろう。要は沖縄の基地問題など「本土」にとってはどうでもいい問題だと言いたいわけだ。はっきり言って古市は無知というか,腐った権力に媚びへつらうだけのエセ社会学者だが,そういう腐った御用学者どもが今のマスコミや言論界で発言力を持ち,幅を利かせているのである。だから世間は有名スポーツ選手や芸能人の病気には関心を寄せても,権力側にとって都合の悪いトピック(原発や沖縄など)には関心を持てなくなっている。御用マスコミや太鼓持ち学者などの大活躍で,権力とともに世論も大衆も腐りきってしまった。



 琉球が明治政府によって沖縄県とされた琉球処分から140年。以来,沖縄は中央政権の下で苦悩と犠牲を強いられ続けた。「本土」からの沖縄差別,先の戦争での「捨て石」,戦後の米軍統治と米軍基地の存在,米兵の犯罪・・・苦しみは今なお続く。古市のようなクズは放っておいて,彼(か)の地の苦悩に心を寄せるべきだ。沖縄の民意や基地の弊害は明らかであるにもかかわらず再びやらざるを得なくなった県民投票。これが沖縄の苦しみからの解放の第一歩になればと願う。何はともあれ蒼氓がどのような判断を下すのかを注視したい。

 そこで大切だと思うのが,「沖縄の民意とは何か」という根本的な問いである。例えば反対票が過半数を大きく上まわった場合,沖縄の民意は「反対」ということで一括されがちである。だが私は,そういう民意のとらえ方に違和感を覚える。投票結果などの数値的に表に現れたものだけを「民意」と見るのは,橋下徹流の安易な見方である。それは選挙や多数決がすべてという皮相な民主主義理解になる。そして,いずれ選挙でさえ勝てば何でもできるという危険な全体主義につながる。実際「民意」がナチズムを生んだ。その意味では投票の結果だけを見て「民意だ,民意だ」と煽って少数の個々の意見や思いをデリートするのは,全体主義への萌芽を含む危険な流れだと思うわけである。

 私は投票による「民意」には回収できない部分にこそ眼を向けなくてはいけないと思う。民意の一つ一つの内実に、自らの想像力を限界まで行使して目を配りたい。それが今の自分にできる最大限の努力だとも思う。その際に,文学という存在が私たちの強い味方になってくれる。政治的な書物を読むのも大切だが,沖縄のアイデンティティーに立脚した文学を読んで,彼の地の苦悩に触れ,自らの痛みとして感じ取ることが重要だ。

 前回紹介した目取真俊の小説「闘魚」では,戦中,弟の勘吉を守りきれなかった姉カヨの辛い記憶を軸に物語が展開されていた。80歳を超えるカヨも辺野古基地の建設には反対だが,それは弟に対する悔恨,罪悪感と切り離しがたく結びついていた。その痛恨は戦後70年以上たった今も決して癒えることはない。深い悲しみは時間が解決してくれるというのも世間に流布する風説にすぎない。「あの日,勘吉のことを助けきれなかったことは,死ぬまで悔やみ続けるだろう」というカヨの言葉を前回引用させてもらったが,それは嘘偽りのないカヨの真情であろう。

 もう73年も昔のことなのに,あの時の母の笑顔も勘吉の笑顔もはっきりと思い出すことができる。手のひらには勘吉の手の感触さえ残っているようだった。(『世界』1月号p.182)


 辺野古に基地を造らせないことは,カヨにとっては,あの日,助けきれなかった勘吉へのせめてもの償いであり,闘魚の姿で現れた勘吉を今度こそ守りきるための絶対に譲れない闘いなのである。

 目取真さんの芥川賞作品「水滴」も,沖縄戦中,主人公が置き去りにしたことで死んだ同級生が生き返ってくるという話だった。やはり,その友人への負い目というのが作品の根底にあった。戦争が終わって何十年と経っても,悔恨やトラウマを引きずりながらさ迷い続ける死者と生者たちがいる。戦争は,政治的な決着を図ることはできても,個々の人間の記憶の中では決して終わらないのだ。それを「民意」として一括してしまうのは,どう見ても無理があるだろう。

 20万人ともいわれる戦死者を出した沖縄。そのなかで刻まれた人々の記憶や悲しみなどまるでなかったかのように,今も日米の政権は沖縄を政治的・軍事的な「捨て石」として利用し続ける。

 「反戦」とか「基地反対」という括りには収まりきらない,沖縄の人たちの記憶や感情の一つ一つに,もっと耳と心を傾けなければいけないと思うわけである。忌まわしい戦時の思い出の中にある,家族との心温まる懐かしい思い出。美しい友情と善意を育んだ戦場で起こる,自分の身を守るための身勝手な裏切り行為。・・・戦争には言葉にするのが難しい人間のさまざまな相反する感情が渦巻いているが,そういう多様な人間本性を目取真俊の作品はうまく描いている。

 「民意」という言葉ではとらえきれない,そこからはみ出た部分にこそ沖縄の真実やアイデンティティーは隠れているような気がする。そこを見つめることこそ,沖縄に寄り添い連帯するうえでの大前提ではないかと思う。今回の県民投票の結果がどうあれ,そこには直接表れない,沖縄の人々の豊かで細やかな感情の襞にいかに触れて同期するかが,沖縄の外側にいる人にとっては大切な課題であろう。高橋和巳的に言えば「悲しみの連帯」ということになるかもしれないが,今日はそういう言葉でまとめるのは控えたい。沖縄でさまざまな苦難をくぐり抜けてきた人々の一つ一つの記憶にしっかりと心を寄せ,それを自らの胸に刻むことが今は大切だと思うからです。少なくとも,沖縄や高齢者をプライオリティが低いとして排除し安楽死させようする古市のような人間性の欠片もない腐った人間になってはいけない,ということだけは同意してもらえるのではないでしょうか。