臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社現代新書) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 こういう衝突や流血の惨事が起こることがわかりきっていて,わざわざやる必要のないエルサレム首都認定や大使館移転をやったのだからトランプは確信犯,戦争犯罪者!!この数週間で亡くなった100人以上のパレスチナ側の人たちはトランプに殺されたようなものだ。首都認定・大使館移転は直ちに撤回すべきだ。こんな奴が出てくる来月の米朝首脳会談が思いやられる。アメリカが北に一方的に非核化を押しつければ会談は決裂するのではないかと悪い予感がする。

 ここは一つ冷静になってパレスチナ問題について考えてみようと掲題の本を読んでみたのだが,第一の感想としては,問題を整理して解決の糸口を見い出せるどころか,問題が複雑すぎて,私の中で一層混乱が深まった。

 本書は聖書の時代から現代に至るまでのパレスチナをめぐる歴史をたどり,パレスチナ問題の発端,展開,現状を歴史的に描き出している。その際,本のタイトルにもあるように,パレスチナ問題を「世界史」という長期的・広域的な時空間の中で位置づけ直そうというアプローチを取っているが,そもそもパレスチナ問題は,一国的・地域的な問題として済ませられる問題であるはずもなく,本書のような世界史的な文脈でしかとらえられないわけで,その意味で本書の方法は決して独自のものとはいえない。

 本書は15回分の講義形式で「です・ます」調の親しみやすい文体になっているが,400ページを超えるボリュームで内容が多岐にわたり,しかも説明があちこちに飛んでいて十分には整理されていないという印象を受けた(例えば,「ロンドン円卓会議」という出来事を含んだ記述がしばらくあって,その後にその会議の詳しい説明がある,など)。内容も中東問題についての一定程度の知識がないと理解しにくい。文章もやや癖があって回りくどく,こういう一般向けの新書としてはあまり相応しくない。書き方にもう少し工夫が必要だと思った。とは言え,内容は非常に濃く,私にとっては知らないことも多く,大いに勉強になった。

 本書が全体として明らかにしているのは,やはりパレスチナ問題というのは近代史の構図の中で形成されてきた問題だという点であろう。

 そもそも,パレスチナ問題は近代の生み出した諸問題を抱え込んでいるので,とりわけ一九世紀以来の近代的な国民国家と国際政治のあり方を根底から問うているのです。(本書p.5)

 世界史の問題として考えるためには,どうしてもパレスチナ問題がなぜ解決できないかの中核となる問題を正面から取り上げざるをえません。それはユダヤ人問題です。パレスチナ問題はヨーロッパ・キリスト教社会が生み出したユダヤ人問題の帰結として生じたからです。
 (中略)
 本書は,イスラエルとパレスチナ人の対立は,近現代史におけるユダヤ人問題の帰結として生じたパレスチナ問題の形成の中で作り上げられたという立場から記述されます。

 (本書p.9)

 ところで,上の引用で「ユダヤ人問題」とあるが,本書によれば,もともとユダヤ人という民族集団は存在しなかった。旧約聖書に出てくるイスラエルの民とは,あくまで「ユダヤ教徒」という信徒集団である。「ユダヤ教徒」が「ユダヤ人」に変わったのは,フランス革命以降,国民国家が形成されていく過程で「人種」という概念がユダヤ教徒に適用されるようになったからだという。つまり国民国家の形成過程で反ユダヤ主義が広まり,それは,たとえユダヤ教徒がキリスト教徒に改宗したとしても「ユダヤ人」は「ユダヤ人」という人種主義的な考え方を伴っていた。そういった人種主義や民族主義の流れから,シオニズムという新たなユダヤ民族のナショナリズムも生まれてきた。

 近代ヨーロッパにおいて反ユダヤ主義が登場して以降は,少なくともユダヤ人とユダヤ教徒という区別は非ユダヤ人の目からはあまり意味をもたなくなったということになります。(同書p.146)

 つまり「ユダヤ人問題」は,アラブ世界で生まれたというよりはヨーロッパで生まれた問題だということである。中世に行われた十字軍にしても,「ヨーロッパ・キリスト教世界とイスラーム世界の対決」という構図でとらえられがちだが,エルサレム占領に際して十字軍はユダヤ教徒の虐殺を行っている。この十字軍によるユダヤ教徒虐殺を,フランスでナチスが行った「オラドゥール事件」の原型と見なす識者もいるのだという。

 またイベリア半島では,キリスト教徒によるムスリム追討戦争であるレコンキスタが完了した1492年には,「ユダヤ教徒追放に関する一般勅令」が出され,イベリア半島からユダヤ教徒が追放された。

 ここでもユダヤ教徒はムスリムと同列に扱われて,追放の憂き目に遭うわけです。「一四九二年」という年はユダヤ民族史では,第二神殿の崩壊,ショアー(ホロコースト)とともに民族的な惨劇の年と位置づけられています。(同書p.108)

 ロシアでは「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人への集団迫害行為(殺戮・略奪・差別など含む)が行われ,ユダヤ人のパレスチナやアメリカへの移住(アリヤー)を引き起こした。

 シオニズムはポグロムのような反ユダヤ主義の暴力的な広がりに対するユダヤ人ナショナリストの民族主義的な防御反応とみなすことができます。(同書p.154)

 シオニズムについては,政治的シオニズムや労働シオニズム,キリスト教シオニズムなどいろいろな潮流があることが説明されているが,重要なのはそのシオニズム運動の起源はやはりヨーロッパにあることである。すなわちその起源は,18世紀からフランス啓蒙主義に影響を受けてドイツを中心にユダヤ人の間に広がったユダヤ啓蒙主義運動(ハスカラー)まで遡れるという。

 「西洋の衝撃」はアラブ世界にもナショナリズム(アラブ・ナショナリズム)を生み出していく。アラブ人とは要するに,アラビア語を話し,アラビア語にもとづく文化を共有する人々のことだが,そのアラブ人にはイスラーム教徒もキリスト教徒もユダヤ教徒も含まれる。アラビア語という絆が宗教・宗派を超えて人々を結びつけていたのだが,ユダヤ人ナショナリズムであるシオニズムの影響やトルコ・ナショナリズムへの反発などから,イスラームとアラブ・ナショナリズムが結びついた偏狭なナショナリズムに帰着してしまった。

 このように「ユダヤ人とアラブ人の対決」という単純な構図だけではパレスチナ問題はとらえ切れないない。もともとパレスチナという地域には言語・宗教・民族の複雑な構成があったのだ。

 本書第1講「パレスチナという地域とその言語と宗教」によると,シオニズム開始以前のパレスチナ地域の多数派はアラビア語を話すスンナ派ムスリムであった。少数派はアラビア語以外を話すスンナ派ムスリム(クルド系,トルコメン系,カフカース系)や,アラビア語を話す非スンナ派ムスリム(シーア派,アラウィー派,ドルーズ派),アラビア語を話すキリスト教徒・ユダヤ教徒,アラビア語以外を話す非スンナ派ムスリム,等々がいて,とてもじゃないが「ユダヤ人vs.アラブ人」と二分できるような状態ではなかったわけである。

 そこにヨーロッパ近代の国民国家・ナショナリズム・植民地主義が入ってきたり,また,それを機に反ユダヤ主義などの人種主義やその反発・防御反応としてのシオニズムが生まれたことで,「ユダヤ人とそれ以外の人々」という民族的区分ができあがっていった。

 「アラビア語を話しているユダヤ教徒」が存在したということは,(アラブとイスラエルの)「民族」的な対立がけっして「二〇〇〇年来の宿命の対立」などの聖書時代以来のものではなく,アラブ人やユダヤ人という「民族」意識が近代になってナショナリズムのイデオロギーのおかげで形成されたためなのです。(同書p.40~p.41)

 「ユダヤ人とそれ以外の人々」という二項対立的な構図を決定的にしたのが,1917年のバルフォア宣言であった。この宣言は,イギリス政府がユダヤ人の「ナショナル・ホーム(民族的郷土)」建設に賛意を表明したものであったが,その中に「パレスチナに存在する非ユダヤ諸コミュニティ」という表現があったことから,ユダヤ教徒でありながらアラブ人でもあるという存在のあり方が否定されてしまった。アラビア語を話していてもユダヤ教徒であれば「ユダヤ人」の範疇に押し込められたのだ。逆に,アラブ地域の90%近くを占める多数派は「非ユダヤ人」=「アラブ人」として一括されてしまった。

 バルフォア宣言の後,この地域では複雑な言語・宗教・民族の構成を度外視して,「ユダヤ人とその他の人々(アラブ人)」という二項対立的な虚構が作り出されてしまい,それが第一次大戦後のパレスチナ委任統治を通じて実体化し,最終的にはアラブとイスラエルの戦争にまで発展していくのである。
 
 以上要するに本書は,「ユダヤ人問題」を軸にしてパレスチナ問題の歴史的構造を明らかにしようとしたものである。大変複雑な要素が絡み合っているため,すっきりとは理解できないが,逆に言えば,すっきり理解できる問題なら,とっくに解決できているだろうし,今のような泥沼状態にはなっていないはずである。にしても,著者が「あとがき」で,
このような新書を著すことによって問題の所在を明らかにして解決の方向性を見出そうと試みたのですが,いっそう深い森に迷い込んだ感じで,将来の展望が見えなくなってしまった」(同書p.413)
と書いていたことには何だか複雑な気分になった。せっかく苦労して400ページもの大きな本を読んできたのに著者自身にそんなことを言われてもねぇ。やれやれ,という感じである。

 冒頭でも書いたように,本書は入門書・教科書としてはちょっと不適格であるが,専門書・学術書として見ても,独自の解釈や新機軸が強く打ち出されておらず,いま一つ物足らなかった。まあ,こういう博学で頭のいい学者さんでも混迷してしまうくらいにパレスチナ問題は難しい問題だということである...。

 だが私でも一つだけ言える真実がある。それは「イスラエル軍は虐殺をやめろ!」ということだ。エルサレム首都認定,大使館移転はパレスチナ問題という油に火を注ぐ暴挙だ!