現代政治の底流にある植民地主義
前回,南西諸島の軍事要塞化を国内植民地主義と書いたが,日本で植民地主義が清算されないのはなぜか。戦後日本ではアジア解放戦争論やアジア植民地支配の正当化が繰り返され,昨今では,そうしたねじ曲げられた歴史認識が主流になっているかのようでもある。この日本人総体に残存する植民地主義の問題は,単に歴史認識の問題であるだけでなく,現代政治的な問題としてさまざまな位相で表出している。戦後日本社会が植民地主義を克服できていないことが,現代のさまざまな政治問題を引き起こしていると思うのである。
改憲のための歴史事実の歪曲
戦争放棄=平和主義を基本原理とする日本国憲法を骨抜きにし,最終的には葬り去ろうとしている勢力にとっては,アジア・太平洋戦争を侵略戦争だと認定している日本国憲法の歴史認識が誤りであることをまずもって主張しなければならない。そのためにも,日本のアジア植民地支配の残酷さや日本軍による大虐殺は何としても否定しなければならないわけである。
「歴史の収奪」=「憲法の収奪」
要は,憲法改正というアクチャルな政治目的を達成するために,歴史事実が捏造・改ざん・否定されていくのである。纐纈厚さんが「市民の意見No.165」で言う
「歴史の収奪」
が戦後日本でも続いているのであり,この「歴史の収奪」とは,日本の市民からの
「憲法の収奪」,「民主主義の収奪」
にほかならない。
日本会議の傀儡としてのアベ内閣
この「歴史の収奪」=「憲法の収奪(=改憲)」を推進する最大の政治勢力が
日本会議
であり,アベ政権もある意味,この日本会議の傀儡なわけである。そして今問題になっている森友文書改ざん問題の核心もこの日本会議にあると私は思うわけである。
「森友事件」の核心としての日本会議
森友学園は,日本会議が掲げる皇国史観教育や大日本帝国の復活に貢献しようとする教育機関であり,だから国有地がただ同然で籠池に払い下げられたのであろう。アベ政権・行政側が森友学園に便宜を図ったのは,日本会議の政策を実行に移すためにほかならない。そのことを隠蔽するためにも決裁文書から日本会議関連の記述・人名はスッポリと削除されたわけだろうし,一部のメディアやテレビ局では「ある政治団体」とだけ述べて日本会議の名前さえ言おうとしない。
日本会議のアジア侵略思想
日本会議がやろうとしている皇国史観教育にしても,天皇元首化・国軍設置といった改憲にしても,その根底には,大東亜戦争肯定,南京大虐殺否定,靖国神社賛美といった歴史事実の歪曲・否定(=「歴史の収奪」)がある。そして,そうした誤った歴史認識を容認する世論がネットを中心に形成されているのも恐ろしい現実である。
自衛隊の日本軍化
前回述べた南西諸島への陸上自衛隊配備や,陸上自衛隊の一元的運用を図る「陸上総隊」の設置(2018年4月より),等に見られる自衛隊増強計画,つまりは〈自衛隊の日本軍化〉も,その根っこには,帝国日本がアジア諸地域を欧米の植民地支配から解放し,近代化を促したといったアジア解放戦争史観や植民地近代化論があることは言うまでもない。
なぜ日本にはいつまでも植民地主義がはびこるのか
何が日本社会および日本人の歴史認識の深まりを阻んでいるのか。つまり,なぜこういう植民地支配の正当化や侵略思想がいつまでも日本にはびこるのか。――
西欧との比較において見えてくる日本の植民地支配の特徴
私は一時期イギリスのインド植民地支配をテーマに勉強していたことがあるのだが,そういう西欧国家の植民地支配と比較すると,日本のアジア植民地支配の特質が浮かび上がってくる。
国民国家への統合と植民地領有が一体化していた近代日本
一つには,明治維新以来,日本の国民国家形成と植民地領有がほぼ同時並行的に進められていった点。西欧では両者には時間や距離や歴史文化慣習などにおいて大きな乖離があった。日本では,国民国家としての国民意識が形成される過程で,台湾や朝鮮などの植民地を領有する本国国民であるという意識も醸成されていったことが,現代にも大きく影響しているように思う。そのように国内の近代化=国民国家の形成と,国外での植民地領有,という二つの国家政策が一体化して進んでいった日本の近代化の過程が,今でもアジア諸国民を差別と抑圧の対象と見て当然という日本人の腐った心性につながっているのではないかと思うのである。
帝国日本の暴力性
もう一つ,西欧との比較で際立っている日本の植民地支配の特徴は,その暴力性や残虐性なのである。近代化というのは暴力をテコにして実体化されるものであるとしても,帝国日本の暴力性は国内でも国外でも際立っていた。急速な近代化を達成しようとしたがゆえに,日本の近代化は赤裸々な暴力性を内在させた過程であった。その点では,同じ植民地主義を標榜した西洋近代とは一線を画している。
天皇制ナショナリズム
では,そういう暴力をテコにした近代化の過程で抑圧され収奪されてきた日本人自身の中に,植民地主義への批判精神が生まれなかったのはなぜなのか。その原因はやはり,日本型ファシズムの基盤をなした天皇制ナショナリズムに求める他ないだろうと思う。
暴力の体系としての天皇制ファシズム
天皇を親とする家族国家観と天皇制国家としての国体観念が,日本人自らに向けられていた国家の暴力や抑圧を,日本以外のアジア植民地の人々へと転嫁・移譲させていった。その意味で,天皇制は植民地での暴力を隠蔽し正当化する装置であったと言える。アジア諸国民への蔑視や差別意識の根底に潜んでいる残虐な暴力性は,こうした天皇を頂点とする「抑圧移譲の体系」(丸山真男)に支えられたものであったのだ。そして,そこから日本人にしか通用しない自己中心的で排他的な歴史認識,すなわち日本絶対主義的なアジア侵略思想や植民地主義が生まれ拡散していく。天皇と国体を盾にとれば,どんな不条理な暴力もまかり通るという認識が日本全体で育まれていったのである。
日本会議的な歴史認識は破滅を招く
こうした未熟な歴史認識は戦後70年以上経った今日もまだ全く清算されていない。日本の植民地支配に内在していた過剰なまでの暴力性やその暴力性を隠蔽する役割を果たしてきた天皇制の呪縛に無自覚である限り,これからも歴史事実の歪曲・ねつ造・改ざんがはびこるだろうし,また日本会議による政治支配も続き,日本は改憲=帝国日本へと歴史の逆コースを突き進んでいくだろう...。