ちあきなおみが娼婦への切ない愛を圧倒的なボーカルに乗せて歌った天才シンガーなら,地元の言葉(=名古屋弁)で地元(=Homies)への愛をラップで刻んだ天才ラッパーはTOKONA-Xであろう。20年前,弱冠19歳の若者が任侠映画をモチーフに作った上の「博徒九十七」は,その発想といい表現力といい,もう天才的としか形容しようがない。本場のUSラップを物まねする日本人ラッパーを蹴散らすかのように名古屋弁でラップしたその斬新さは突き抜けていた。これぞ日本オリジナルのラップだと感じた。
悪名時代の勝新太郎のような茶目っ気と不良精神を併せ持った存在感,そしてチャールズ・ブロウスキーじゃないかと思うようなダークサイドに寄り添うリリック――そのころ聴いていた,ほかのどんな日本語ラップとも,もちろんアメリカのラップともまったくちがう,それまで聴いたことのなかった音楽に,僕は夢中になった。(都築響一『ヒップホップの詩人たち』新潮社p.529)
ヒップホップの詩人たち/新潮社

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私が18,19で東京に出たときは,周りから名古屋弁を酷く馬鹿にされ,自分でも何だかかっこ悪く思えてきて,程なく名古屋弁を喋らないようになってしまった。私は東京(=標準語)に同化されていったのである。そんな東京=中央には何も新しいものも面白いものもないと気づいたのは,ずいぶん後になってからだった。
それはいま,いちばんおもしろい音やシャープな詩を書くアーティストは,ほとんどみんな東京じゃなく,地方にいるってことだった。
(同書「まえがき」より)
(同書「まえがき」より)
標準化を好む都市では,方言とか訛りなどはとかく差別や侮蔑のターゲットになりがちであるが,TOKONA-Xはそれを逆手にとって,東京への対抗心をむき出しにしてアーティスト活動をした。東京でのヒップホップイベント「さんピンCAMP」の前座に出た時にTOKONA-Xが発した最初の一声が
「名古屋だがや!」
だった。そしてメジャー・デビュー後,死まで東京には出ることはなかっった。
嫁や娘にみやげにここまでこのためだけに来たこのオレに
おみゃーは何してくれたんだNew York オレに何くれんだてことNew York City
アホみてぇにでけー広告けいじ板マズイ飯にコロンボ
どれとってもねーまず名古屋にゃまだ見たこたねーもんばっかだでこりゃ
(TOKONA-X「New York New York」より)
おみゃーは何してくれたんだNew York オレに何くれんだてことNew York City
アホみてぇにでけー広告けいじ板マズイ飯にコロンボ
どれとってもねーまず名古屋にゃまだ見たこたねーもんばっかだでこりゃ
(TOKONA-X「New York New York」より)
TOKONA-Xのラップが画期的だったのは,やはり地元・名古屋を精神的な拠点にすることで,東京とアメリカを両面攻撃したところだろう。日本・東京とアメリカ・ニューヨークを素晴らしいとする日本人の価値観や風潮にラップで一撃を加えた。そういう反権威的・反逆的なスピリットというのは,元々ヒップホップが持っていたものであろう。今,そのスピリットを持ったアーティストや芸能人はいるか。前に「朝まで生テレビ」に出ていたウーマンラッシュアワー村本かラッパーのダースレイダーぐらいか。特に村本は,吉本といういわば芸能界の中心に所属しながら,どこまでできるか見守りたい。
わずか8年間のキャリアで,26歳という若さで世を去ってしまった彼が遺したものを考えるとき,同じようにほんの数年間のキャリアで音楽世界を根底から変革しながら,みんな27歳で死んでしまったジミ・ヘンドリックやジム・モリスンやジャニス・ジョプリンやカート・コバーンのことを思い起こさずにいられない。その,遺したものの大きさは,ようやくこれから明らかになっていくのかもしれない。(同書p.556)
すべての芸術がそうであったように,ラップも「持たざるもの」によって生み出された。(同書「ラッパーズ・ソリチュード――あとがきにかえて」より)
〔追記〕
とんでもないニュースが入ってきた。元少年に対する死刑執行。これ以上,国家権力による暴挙を許してはいけない...。
「当時の僕のように悩み,混乱し,自分を見失った少年たちが,二度と僕のような罪を犯さないために,僕の経験を反面教師として役立ててもらえれば,この世に生まれてきたことに少しでも意味があったと言えるかもしれません」(元少年の手記より)
