それでも襟裳の春はやって来る | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 防衛省の沖縄防衛局職員が辺野古基地反対派の沖縄市民に「日本語分かるか」との差別的発言をしていたという。沖縄が方言差別や「方言札」などで苦しめられてきた歴史をちゃんと理解していないから,こういう差別発言や侮辱につながる。現場での諍い・揉め事だからといって,「どっちもどっち」で済ませるわけにはいかない。権力側の人間と市井の人とは当然非対称の関係にあるはずで,同列に見なすことはできない。沖縄防衛局が主張する「反対市民が警告に従わないから」という弁解は,差別発言をしてもいいという理由にはならない。しかも実力組織の防衛省である。一般市民と同列に語られていいはずがない。こういう差別発言の繰り返しが,沖縄差別を永続化させていくのである。

 前に目取真さんが,沖縄防衛局職員は沖縄差別の先兵だと言っていたが,そのことが実に当を得たものであることが,今回よく分かった。

 現場に出ている沖縄防衛局員の大半はヤマトゥンチューだが、何年か沖縄で勤務すれば他府県に移っていくのだろう。米軍基地の被害もしょせんは他人事だ。
 彼らは沖縄への基地押しつけ=構造的差別を支えている先兵でもある。日本「本土」の安全のために沖縄を犠牲にする。沖縄を捨て石にする構造は72年前と何も変わっていない。

「辺野古新基地建設と沖縄差別の先兵たち。」,目取真俊ブログ「海鳴りの島」より)


 いったい日本語を知らないのはどっちだと問い返したい。それは,大本営マスコミを含めて中央権力の側の人間たちではないか。昨日は北朝鮮のミサイル発射をめぐって一生懸命,戦争プロパガンダをぶっていたが,その戦争言語がいかに私たちの現実感とはかけ離れてトチ狂ったものであるか。そのことがはっきりしたであろう。

 明らかに「挑発」という言葉の使い方も間違っている。挑発しているのはどっちだと言いたい。それは米韓合同軍事演習を強行している米国だろう。さらに米国のプロレス大統領と一緒に北への圧力を強化するなどと公言している日本の安倍首相も,米国の挑発行為の片棒を担いでいる。米韓軍事同盟とともに日米同盟こそが,北にとっては威嚇なのであり挑発に映るわけである。さらに米韓日の三国軍事同盟化が,北の一番恐れている事態であろう。そんな中で安倍首相が「強固な日米同盟」を強調することで,どれだけ北朝鮮を刺激し挑発しているか。どうしても安倍は北と戦争をやりたいんだね。ああやってJアラートを鳴らしまくって,いたずらにミサイル危機や憎しみを煽り,戦争体制を作りたいわけだ。

 「日本上空を通過」も「襟裳岬の東に何km」というのも戦争プロパガンダ。万一本当に核弾頭積んだミサイルが日本に着弾したら終わりだ。防げるわけない。だが,その可能性は火山のカルデラ噴火(破局噴火)で日本が全滅するのと同じくらい低い確率だろう。今,ミサイル防衛に必要なことは北をいたずらに挑発しないことである。そのことは,まともな人間ならわかるはず。そのためにも,まず直ちに米韓合同軍事演習をやめる。そして,朝鮮戦争の休戦状態を終結させるべく外交交渉に努めること。

 日本もそろそろ日米同盟を再考し,米国の北への挑発行為に同調するのはヤメにしよう。核の傘や在日米軍などあっても何の役にも立たないことが今回わかったのではないか。代わりに憲法9条は,日本の軍事大国化を恐れている北朝鮮との交渉にとって重要なカードだから絶対に捨ててはいけない。そして一番重要なのは,日朝国交正常化交渉を進めることである。拉致問題を口実にしていつまでも棚上げにしていてはいけない。

 日本を危険にさらしているのは,日米同盟であり,54基の原発であることに,日本の為政者は早く気づいてほしい思う。

 昨日は「襟裳岬の東に何km」と何度も連呼するから,どれだけの距離かとよく聞いてみたら,約1200kmだと。沖でも領海でもなく,EEZにも入ってないじゃないか。地名を出すなら,千島やカムチャッカ半島の方が適切であろう。だが,どうしても日本の危機を演出したいから,誰もが知る襟裳岬が使われた。「襟裳岬」「襟裳岬」とメディアで聞く度に,心が痛んだ。襟裳岬といえば,岡本まさみ作詞・吉田拓郎作曲の名曲「襟裳岬」である。その歌で歌われていた静かな自然や人びとの温もりという襟裳のイメージが壊されるのが嫌だった。

 日本の南や北で,支配者言語としての差別語や戦争言語が無神経に使われていることに憤りを覚える。だけど,それは人の詩情までも奪えはしない。

 それでも襟裳に「何もない春」はやって来るのだ...。


「襟裳岬」(つま恋コンサートより)


捨てて来てしまった わずらわしさだけを
くるくるかきまわして 通りすぎた夏の匂い
想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です