道浦母都子さんの歌に託して | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)


 昨日の記事では,小熊さんに対する批判を長々と書いてしまって,反省しているのだが,私の言いたかったことは,実は下の道浦母都子さんの歌ですべて言い尽くされている。

 ところで今夜,地上波テレビで浅間山荘事件の特集を放送する由,どんな風に取り上げられるのかは知らないが,小熊さんのように現代という地点からあの時代を相対化し評価するのは簡単であろう。だが,その時代の奔流に巻き込まれてみないことには,本当のところは見えてこない。誰もが一歩踏み誤れば永田洋子であった。そんな道浦さんの声は,ある意味「世代の悲しみ」のようなものとして,私の胸に響く。悲しみの当事者性,そこを私は大切に共有したいと思う。


私だったかもしれない永田洋子 鬱血のこころは夜半に遂に溢れぬ


 私だったかもしれない...


無援の抒情 (岩波現代文庫)/道浦 母都子

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