政府の論理は暴力である | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 「マスコミに載らない海外記事」というブログに興味深い記事が紹介されていたので,その一部をここに引用したい。Paul Craig Roberts の「低能連中の政府」という記事(2017年4月16日)より。

 暴力のための暴力。アメリカはそういうものになってしまった。
 実際暴力こそアメリカの実態だ。それ以外のものは皆無だ。暴力はアメリカの核なのだ。
 爆撃や国の破壊だけでなく,アメリカ国民に対する果てしない,いわれのない法外な警官の暴力もある。非武装すべき人がいるとすれば、それはアメリカ警察だ。警官は,誰よりも“銃による暴力”をおかしており,縄張り争いのための戦う薬物密売犯罪組織とは違い,警官の暴力には,他人に対して暴力行為をする嗜好以外の理由はない。アメリカ警官は,12歳の子供まで,特に彼らが黒人の場合,問答無用で銃撃する。
 暴力はアメリカだ。アメリカは暴力だ。低能なリベラルは銃所持者のせいにするが、暴力の源は常に政府だ。



 この記事では,外国だけではなく米国民にも暴力を行使する米国政府の実情が暴露されている。もはや米国は戦争や暴力なしには成り立たない国になってしまった。だが,これは米国だけの話ではなかろう。日本政府にも貫通する内容である。すなわち日本政府はいよいよ米国化(=暴力化)しつつある。

 今国会で審議されている共謀罪は,上の記事にあるような警察の暴力を容認して,冤罪を誘発する側面があることは否定できないだろう。すなわち,共謀罪では客観証拠がないことによって自白の強要が起こりやすい。暴力的取り調べによっていったん自白してしまえば冤罪の立証が困難になる。共謀罪捜査では政府の暴力が正義となる!

 そういう国家権力の暴力に歯止めをかける唯一有効な仕組みが立憲主義のはずなのだが,それも安倍政権になってから完全に無効化されてしまった(閣議決定!強行採決!)。そして,立憲主義を全否定する憲法改正へと踏み出そうとしている。だが,その前に共謀罪法案の成立によって政府の暴力が統治手段として合法化されようとしているのである。

 著名なジャーナリスト堤未果さんは『政府は必ず嘘をつく』(角川新書)という本で,政府というものの最も危険な属性を「隠ぺい」という点に求めたが,私はその認識レベルはまだ甘いと思う。その裏に控える暴力こそが政府の本筋論理だと考えるからである。自らの方針を貫くため政府は最後の最後には,警察力や軍事力という暴力を必ずや行使する。そのことは例えば沖縄の基地建設強行にもはっきり表れているし,かつての安保闘争や三里塚でも,また前回記事で触れた朝鮮学校の閉鎖・資産没収でも,反対する市民を弾圧するため警察力という暴力が投入された。

 その点で,実際に明治政府の大謀略・粛清の標的となった幸徳秋水が示した認識は慧眼というよりほかない。今,読み直されるべきは秋水であろうと思う。

   ◎政府の論理(ロジック)
 兵力(フォース),これが,政府筋の論理である。


   ◎新意義
 国家とは,戦争である。政治とは,殺人である。

(以上,「撃石火」より。『日本の名著44幸徳秋水』p.489,p.482)


日本の名著〈44〉幸徳秋水 (1970年)/中央公論社

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