20世紀最大の偉人がアリだとしたら,20世紀最大の経済学者はケインズということで,おおかた同意は得られるのではなかろうか。20世紀型福祉国家の登場も管理通貨制度もケインズ経済学がなければあり得なかったと言ってよいし,また20世紀の経済学の展開はケインズ経済学をめぐる「攻防」と言ってよいから。
①根井雅弘編著『わかる現代経済学』(朝日選書)
②東谷暁『経済学者の栄光と敗北――ケインズからグルーグマンまで14人の物語』(朝日選書)
③稲葉振一郎『不平等との闘い――ルソーからピケティまで』(文春新書)
②東谷暁『経済学者の栄光と敗北――ケインズからグルーグマンまで14人の物語』(朝日選書)
③稲葉振一郎『不平等との闘い――ルソーからピケティまで』(文春新書)
最近の経済学の動向を知りたくて,上記三冊を読んでみた。私の場合,マネタリズムや新古典派総合(サミュエルソン)あたりで知識が止まっているので,特にその後の展開を知りたかった。経済学はこれまで何を問題にしてきて,今その最前線では何が問題になっているのか。そういう問題意識で読んだが,三冊ともあまり魅力的なものではなかったというのが感想。前に読んだ伊東光晴さんの『ガルブレイス』(岩波新書)に匹敵するような知的刺激はなかった。
70年代以降ケインズ経済学が衰退して,代わって反ケインズの新古典派経済学(市場を万能と見る新自由主義的経済学)が主流の地位を占めている状況は,基本的に今も変わっていないようである。
①や②によれば,ポスト・ケインジアンや,ヴェブレン以来の制度学派(ガルブレイスも含む)などの反主流派も頑張ってはいるが,影響力は小さく,あくまで異端に留まっている。ニュー・ケインジアンと称する学派は,ケインズ経済学の魂を新古典派やマネタリストに売り渡してしまったかのようで残念なグループだ。ゲーム理論とか合理的期待仮説とかはもっとダメ,話にならない。もうそこには生きた人間が登場しないのだ。理論に都合のいい単純化された一元的な人間が出てくるだけで,さまざま多様な行動をとる生身の人間が出てこない。これらは現実に通用する経済学ではないと思った。
私は個人的には,古典派経済学やマルクス経済学などの政治経済学的な観点を取り戻すしかないと考えていて,その意味でスラッファの経済学に期待をかけているのだが,難解であるため,それを正面から扱う入門書はほとんどない。①『わかる現代経済学』では,ポスト・ケインズ経済学としてスラッファを取り上げていたが,ほんの触りだけなので,スラッファとケインズ経済学との関係がよくわからなかった。
思いっきりわかりやすく言えば,スラッファが復位させようとした古典派経済学の世界は,「頑張って働いた人が必ず報われる世界」。労働者が一生懸命働いて作った商品は,必ずその労働に見合うだけの価値で売れる。そういう経済を理論化するために,商品の価値は労働者の投下した労働の大きさに従って決まるという「労働価値説」を経済学の基礎に置こうとした。
それに対して新古典派の一般均衡理論は,モノの価値をそのモノの稀少性(需要が供給よりも相対的に大きいこと)に比例して決まると考える。例えばダイヤモンドは価値が大きいし,空気はほとんど価値を持たない。それは,いわば他人が持っていないようなモノを持っている人が報われる世界である。だから,モノを作るプロセスはどうでもよくて,モノの稀少性,モノとモノとの関係性・差異性だけが大切にされる。それが格差・不平等を合理化する理論につながることは,ここでは指摘するだけに留めておく。
一生懸命働く者が公正に評価され報われる世界,いわば正直者がバカを見ない社会を経済学的に基礎づけるには,スラッファが取り組んだ古典派的な労働価値説が不可欠だと思うのである。だが,上記③『不平等との闘い』では,古典派やマルクスの労働価値説には根拠がないと切り捨てていて,それには納得がいかなかった。③は,商品という資本主義の基本細胞をおざなりにしか見ていないから,資本主義が不可避的に生み出す不平等の本質に迫れていない。
だが不平等問題を通じて,成長(生産)と分配の関係に再びスポットを当てたことは③の功績だろう。経済成長は所得分配にどのような影響を与えるのか。逆に,所得分配の平等・不平等は経済成長にどういう影響を与えるのか。そういう問題関心は主流の新古典派経済学では希薄であった。というのも,市場で自由に競争が行われさえすれば,最大の成長が達成され,底辺の人々にも富が行き渡るだろうと考えるからである。だから分配への関心は薄れ,生産のパイをできるだけ大きくことだけに関心が集中する。生産と分配は完全に分離されているのだ。こういう,市場にまかせておけば万事がうまく行くという経済観が,今の新自由主義的な経済政策や自己責任論の流れを支えている。
経済成長と分配には抜き差しならぬ関係がある。そのことについて正面から取り組み,理論化し,その上でできるだけ不平等をなくしていく政策を提案するのが経済学の本来のあり方ではないかと私は思う。そうした政治経済学的な観点,いわば経済学の原点に立ち返るという意味では,③はよい本だと思う。ただ,数理モデルを「です・ます」調の文章で易しく説明しようとしているために,かえってわかりにくくなっていて,一回読んだだけで内容を理解できる人は少ないのではないか。ともあれ本書を通じて,一人でも多くの人が経済学や不平等問題に関心を持ってもらえればと思う。
②『経済学者の栄光と敗北』は,ケインズを出発点とした20世紀の経済学者列伝である。おそらく西部邁の影響だろうがケインズの保守的というか愛国的な側面が強調されていて,そのリベラルな面があまり出ていないように感じた。だから,その後のハイエクやドラッガーなどの保守派が高く評価され,反対に社会改革を志向するガルブレイスやスティグリッツの評価はあまり高くない。しかもポスト・ケインジアンは取り上げられてさえいない。とはいえ,私としては②はとても勉強になった。著者の東谷さんは大変博学で多くの文献を参考にしながら,またジャーナリストらしくわかりやすい文章で,ケインズとそれ以後の経済学を解説してくれている。自身は経済学を専門に学んだことはないそうだが,そのためにかえって初心者にはわかりやすくなっているかもしれない。各人の経済学の理論を詳しく説明するよりは,それぞれの経済学がなぜ生まれ,それが社会にどういう影響を与えたかの説明に重きを置いていて,いわばケインズを主人公にした一つの大きな物語になっている。経済学特有の小難しい専門用語や数式もあまり出てこないので,ノンフィクションや伝記物を読むような気分で読めるのではないか。それから,取り上げられている経済学者はすべてアメリカに縁のある経済学者なので,アメリカの経済や経済政策に経済学者がいかなる影響を持ったのか(また持たなかったのか)がよく理解できた。特に近年の金融緩和や低金利政策の知的源泉がどこにあるかがわかって興味深い。
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