新年早々,いきなり今年ナンバーワンの本に出会ったような気がする。40年以上前に出た本なのだが,今回初めて読んで,さまざまなことに気づかされ,大いに啓発された。本書が出たのはベトナム戦争さなかの1971年。南北ベトナムが統一されるのはまだ5年ほど先のことである。当時,著者・鶴見俊輔氏(1922-2015)はべ平連の中心的な存在として活動されていて,その時代の空気を濃い密度で感じさせる書物ではあるけれども,しかし時代を越えて,21世紀初頭の現代にも通じる視点を,本書は筆者の体験と書評を通じて提示しているように思える。いつまでも光を失わない,こういう本が名著といわれるものなのだろう。
こういう本を読み継いで,その精神を未来につないでいくことが,私たちの役割として課せられているのだと思う。個人的には何でこういう本を若い頃に読んでおかなかったのか悔やまれるのだが,今の若い人には,〈シールズ選書〉15冊もいいのだが,是非これをまっ先に読んで欲しいな,と思うほどお薦めしたい本である。特に市民運動に関わっている若者には,体験から考えるという強い意志に貫かれている本書からは,学ぶところ多大だと思うのである。
体験から考えるという方法は,体験の不完結性・不完全性の自覚をてばなさない方法である。ある種の完結性・完全性の観念に魅惑されて,その尺度によって状況を裁断するということがないようにすることが,私の目標だ。北米体験が自分に教えてくれたことは,一口に言えば,かりものの観念による絶対化を排するということにつきる。(本書p.185)
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(以下,自分の読書メモとしてつらつらと綴っていきますので,適当にスルーしてください。)
〈目次〉
序 章 ケムブリッジ
第一章 マシースン
第二章 スナイダー
第三章 フェザーストーンとクリーヴァー
終 章 岩国
序章では,太平洋戦争中に著者が留学先の米国から日本へ帰国することになった事情が語られる。すなわち著者はハーヴァード大学に留学中,日米が開戦し,FBIに連行されて,移民局のあちこちの留置所に入れられた。そしてその留置所の中で卒論を書き上げ,捕虜収容所に残るか交換船で日本に帰国するかの二者択一を迫られ,「日本が負ける時に日本にいたいという感情」から帰国を選んだのだという。
この米国での体験は,著者にとって大きな意味を持ったようだ。すなわち,人権,言論の自由を保障している国アメリカは,もちろん自分の人権,言論の自由も保障してくれると無邪気に信じていたのだが,この体験で,米国市民に保障される権利は,米国市民でない外国人には保障されないのだと思い知った。しかし,まだこの時には,「米国市民ではあっても,黒人には,事実上は投票する権利も奪われているものが多く,言論の自由も制限されていること」(本書p.10)などには,考えも及ばなかった。また,日本との比較において米国での留置所の生活を見ると,米国のデモクラシーはそれなりに生きているという確信も持ったという。米国の自由・民主主義の虚妄を暴こうとする視点と,米国と比べて日本のデモクラシーが全く成熟していない点を批判する視点との二つの眼が,若い鶴見さんに宿りつつあるのを感じる。
監獄の中からその社会を見ることが,その社会にデモクラシーがどの程度にあるかを知る一つの方法になるだろう(本書p.13)
第一章から第三章は書評的な評論で,北米の民主主義的伝統の諸相が描き出される。第一章では赤狩りの中で自殺を選んだ,ニューディール左派で文芸批評家のマシースンが取り上げられる。マシースンは,社会生活への多様な関心を持ち,労働運動・市民運動に関わってきたことから,書斎の中で学者が書く文学史とは違う文学史を描くことができた。著者・鶴見さんは,唯物史観やキリスト教に依りながら社会主義へのシンパシーを色濃く示すマシースンの作品の中に,民主主義的伝統や民衆的性格を見出し,高く評価する。
この第一章は正直ちょっと難しかったが,マシースンがメルヴィルの『白鯨』を評価している点を,鶴見さんが下のように解説しているのは興味深かった。民主主義の指導者がいったん大衆とともに生きることをやめれば,容易にファシズムや帝国主義の代弁者に転化しうるということの指摘だろう。
メルヴィルは,捕鯨船の乗組員に荘厳な性格をあたえた。その水夫たちは,シェイクスピア劇の主役となる王たちとはちがう民主主義悲劇の主役である。水夫のイシュミルとクウィークェグとの友情は,白色人種の側に何の優越性も見られない仲間同士の間柄である。現代の米国にとって,国内においても,国外においても,人種による優越などないというこのあたりまえの主張をくりかえし確認することが,民主主義の実現のために必要なのである。そして船長エイハブの不屈の意志が最後には船を滅亡に追いやる結末は,みずからの意志を法則として守りきる個人が,大衆とともに生きるのではなく大衆を支配する時,どんなにひどいことをもたらすかを示す。・・・原爆をもって世界に対する,第二次世界大戦後の米国にとって,みずからの姿をうつすのに,これほど見事な象徴は,他にない。(本書p.69)
第二章で取り上げられるのが,アメリカ・インディアン(当時の呼称)の社会。それは「自然と人間の結合の意識」によって支えられていた。そのインディアンの文化を現代によみがえらせたのが,インディアンの研究者で詩人のスナイダーである。スナイダーが現代人に求めたのは,北米白人の文明や科学が自然を破壊し先住民を殺戮していくものであることを自覚・反省し,自然と共生する先住民の知恵に謙虚に学ぶことである。スナイダーが価値転換をして受け継いだ「フロンティア」概念に関して,鶴見さんが次のように解説している箇所では,目を開かれる思いがした。
フロンティアはまず,そこで北米の白人が大きな自然を前にして,未開人ととなりあわせで住んで来た場所であり,北米の白人にとってはここで自分たちの方法で自然の破壊をしてゆきづまった結果,インディアンの方法からまなばざるを得ないところにつれてゆかれた再教育の場所である。フロンティアは,北米の白人にとって,苦い教訓をもたらす想い出であり,北米の白人が何をこの大陸の自然とアメリカ・インディアンにたいして,したかの知識を確認する場所である。(本書p.122)
第三章で論じているのが黒人問題で,本書の白眉と言っていい。人種差別に反対するSNCC(スニック,学生非暴力調整委員会)や黒豹党の活動の軌跡を追うことで,米国における黒人差別の実態や黒人の置かれた立場を明らかにしている。そのなかで特に印象に残ったのは,人種差別(レストランやバス,学校の座席での差別など)に対して抗議することは,その活動家を危険な目にさらすということである(具体的には脅迫や殺傷事件,逮捕拘禁)。そして,そういう抗議活動が激しくなるにつれて,逆にそれを取り締まり,あるいは妨害する勢力(警察権力や右翼団体)もますます強大化していく。差別と闘う人々は,そういう矛盾した状況の中で日常的に生命・身体の自由を奪われる危険にさらされて生きてきたわけである。本章で取り上げられた,スニックの活動家フェザーストーンも殺害された。
そうした厳しい状況においては,政治的・道徳的理念だけでは運動の支えにはならない。その理念の底に,行動と結びついた情念が呼び覚まされることが必要である。そういう黒人の生活感情を表現したのが,本章で取り上げられたもう1人の人物,詩人でエッセイストのクリーヴァーである。
クリーヴァーによれば,ボクサーのジョー・ルイスや歌手のポール・ロブソン,トランペッターのルイ・アームストロングが熱狂の対象になるのは,「かれらの動きがからだの動きにとどまるかぎり」においてだ。
その証拠に,これらの黒人がひとたび,からだだけでなくこころの領域においても活動しはじめると,白人はすぐさまかれらを破壊させようとする。拳闘選手ジョー・ルイスの人気にひきくらべて,おなじ拳闘選手カシァス・クレイが憎まれるのは,かれが,マルコムXの信徒として自分の政治思想をはっきりと言うからだ。おなじようにポール・ロブソンが黒人大衆の立場にたって自分の意見をはっきり言うようになると,彼は二十万ドルの歌手としての位置からひきずりおろされしまった。からだとこころとのこんな分業は,やめてしまうことが必要だ。白人は,心だけでなく,からだをとりもどすべきだ。黒人は,からだとともに,こころをとりもどすべきだ。(本書p.163~p.164)
そしてクリーヴァーは,黒人音楽ジャズを黒人の生活の底に流れる情念を表す表現形態として見るとともに,新たな文化の前ぶれと見た。
「リズム・アンド・ブルース」と呼ばれる「この音楽の中に,黒人は,強力な官能を,彼の苦しみを,そして彼の肉欲と彼の愛と彼の憎しみを,彼の野心と彼の絶望を投影した。いや,傷口から膿をしぼり出すようにしぼり出し,したたらせたのだ」と,彼は言う。(本書p.165)
さらにクリーヴァーは,米国の建国記念日7月4日について,こう述べている。
アメリカの奴隷にとって君たちの七月四日は(米国建国記念日)とは何であるのか?わたしは答える。――それは,一年の他のどの日にもまして,奴隷にたいして,彼がたえずその犠牲者となっているこの大不正と残虐さを明らかにする日付である。奴隷たちにとっては君たちの祝日は恥辱である。(本書p.169~p.170)
こうしたクリーヴァーの言葉は,著者・鶴見さんに北米留学体験の再考を促したのだった。すなわち鶴見さんは,自分の価値基準を北米の白人に同化して,そこから日本を批判する地点にとどまっていたことに気づかされたのである。そこで,こういうクリーヴァーや黒豹党の思想を拠点にして,黒人の側から北米を見るという視点を育んでいく。ここに,戦後民主主義をリードした鶴見さんの出発点があったのだと,私にとって目から鱗の発見であった。
そして鶴見さんは,スニックや黒豹党の活動をフォローすることを通じて,自らの思想の方法を確立していったようにも見える。北米留学当時,鶴見さんはプラグマティズムの哲学を研究していたが,そこには黒人運動はまだ視野に入っていなかった。だが60年代に入って,スニックや黒豹党の運動の中にプラグマティズムの思想が表れているのを見る。つまり,黒人の活動家たちが,その抑圧された経験の中から自分の権利を一つ一つ見出していく方法に,今日の重大なプラグマティズムが表れていると見たのである。
スニックも,黒豹党も,何かの書物にある主張を固定した法則としてたてて,状況を判定する尺度とすることをしない。自分の経験をたよりとして,その経験から見て重大だと思える行動を誰かが起した時には,そこに集まって助けひろげるという形で運動を進めた。・・・クリーヴァーが,自分の経験を分析して一歩一歩より深い部分におりてゆく方法は,国家あるいは政党の政治的権威によって思想を固定させるやり方からかけはなれた哲学を示している。それをことさらに新しい別のプラグマティズムと呼ぶ必要はない。しかし,ここには,自分の生活経験の中からつくりあげられた思想が自然にそなえるプラグマティックな性格がある。(本書p.168~p.169)
その他,第三章ではマーティン・ルーサー・キングやマルコムXなど有名な公民権運動の立役者についても触れられている。戦後の鶴見さんの市民運動への参画は,このような黒人の哲学あるいはインディアンの哲学としてとらえ直されたプラグマティズムの方法に支えられていたのである。だから安保闘争にしてもべ平連の活動にしても九条の会の呼びかけにしても,鶴見さんの立ち位置にはブレがない。この本を書いているのと同じ鶴見さんの顔が,そうした運動の中にも見えるのだ。「かりものの観念による絶対化を排する」という,北米体験の反省から学んだ教訓が,プラグマティズムの方法に支えられて,生涯,鶴見さんの中で生きていたのだと思う。
北米体験の再考によって得た視点と方法をもって鶴見さんは日本に立ち向かう。すなわち終章で岩国基地でのべ平連の活動が語られる。例えば「こどもの日」に,岩国からベトナムへと発信する米軍爆撃機の飛行を「凧あげ」や「風船とばし」で妨げようとする「小さな行動」が描かれ,しかもその反戦活動に,基地内の米軍兵士が共感していることも指摘されていた。だが他方で,日本人デモ隊と,基地内の米兵との問答の中で,米兵が言い放った「ジャパニーズ・ゴー・ホーム(日本人よ家に帰れ)」という言葉は,米国人の日本人に対する意識がどのようなものかを如実に示すものである。
この米国兵士たちが,かれらがたっているその土地が日本人の土地だという意識をもっていないということをも,よくあらわしている。一九六〇年五月の安保闘争でアイゼンハウァー大統領の日本訪問が中止になった時,米国の大衆雑誌『ニューズウィーク』は,米国人にとってこのデモは自分の家の「裏庭で」たたかいがおこったようなものだと批判していたが,太平洋をへだてたヴェトナムも日本も家の内部と感じているこの感じ方に,かれらのゆるぎのない正義感の根拠がある。それをくずすことが必要だ。(本書p.178)
本書が出てから40年後の今も,沖縄をはじめ日本は,アメリカの「家の内部」にある。「それをくずすことが必要だ」という鶴見さんの言葉は,単に闘争の呼びかけではなくて,生活体験に根ざした民衆的とも言える立場からの声だと感じる。だから,それは普通の市民として受け継いでいけるものであり,受け継いでいきたいと思うわけである。
ところで,第三章で取り上げたフェザーストーンが,ハワード・ジンという著名な学者とともに来日し,北海道から沖縄におよぶ日本縦断の講演会旅行を終えた後に言った言葉も印象に残った。それは今も私たちに重くのしかかっている。
旅行を終って帰る前に,一緒に話した時,彼は,日本のいろいろなところの土地柄のちがいというものは,それほどない,と言った。
「日本は,沖縄と沖縄以外の部分と,その二つにわかれている。それだけだ」
と言うのだ。フェザーストーンは,黒人として彼のもっている直観で,沖縄の聴衆には,北米における黒人と同じく圧迫されたものの要求を感じとった。沖縄以外のところでは,聴衆の要求が,いくらかぼけていることを感じとったのだろう。聴衆が,どんなに過激な理論をぶつけてきても,それが生活上の要求をうしろにもっている言葉かどうかを判定できる力が彼にはそなわっていた。
(本書p.136~p.137)
「日本は,沖縄と沖縄以外の部分と,その二つにわかれている。それだけだ」
と言うのだ。フェザーストーンは,黒人として彼のもっている直観で,沖縄の聴衆には,北米における黒人と同じく圧迫されたものの要求を感じとった。沖縄以外のところでは,聴衆の要求が,いくらかぼけていることを感じとったのだろう。聴衆が,どんなに過激な理論をぶつけてきても,それが生活上の要求をうしろにもっている言葉かどうかを判定できる力が彼にはそなわっていた。
(本書p.136~p.137)
本土と沖縄の温度差,意識の違いを図星で言い当てている。現政府はその意識の落差を利用して日本を「沖縄と沖縄以外の部分」に分断し,辺野古基地建設を強行しようというのか。それを阻むためにも,本土側の人間が沖縄住民並みに意識を高めるよりほかない。
筆者は本書で,労働者階級の眼,北米先住民の眼,米国黒人の眼,あるいはベトナム人の眼,沖縄住民の眼から,つまりは社会の片隅で抑圧されてきた人々の眼から,自らの北米留学体験を反省・再考し,新たな視野のもとで新たな米国像を浮き彫りにした。今,私たちは冷戦をくぐり抜け,テロ戦争のさなかに暮らしているという新たな体験を持っている。その体験から,鶴見さんがしたように新たな意味を引き出し,新たな視野を獲得していかなければならない。だがその際にも,本書で鶴見さんが提起した被抑圧者への共感という視点は大切にしたいと思うのである...
北米体験再考 (岩波新書 青版 F-99)/岩波書店

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