日に一度しか食事をとれず,スーパーで見切り品の総菜だけを持ってレジに並ぶ老人。生活の苦しさから万引きを犯し,店員や警察官に叱責される老人。医療費が払えないため,病気を治療できずに自宅で市販薬を飲んで痛みをごまかす老人。そして,誰にも看取られることなく,独り静かに死を迎える老人。・・・。(藤田孝典『下流老人』朝日新書p.5~p.6)
「一億総中流」どころか「一億総崩れ」!?「一億総老後崩壊」の時代が近い将来やってくる。すなわち日本の高齢者の9割が下流=貧困化する。――そう本書は警告する。
「下流老人」とは,本書の定義によれば,「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」のこと。要するに,「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることが困難な高齢者を指している。もう少し具体的に言うと,以下の3つの「ない」を備えた老人だという。
① 収入が著しく少「ない」
② 十分な貯蓄が「ない」
③ 頼れる人間がい「ない」
この3つの「ない」状態にある老人は,「健康で文化的な生活」を営むことが困難だという。3つのうち,一つでも「あれば」,下流化を免れる可能性がある。つまり収入が低くても十分な貯蓄があれば問題ないし,貯蓄がなくても家族の支援や地域の助けなどがあれば何とかやっていける。「下流老人」とは,こうした一切のセーフティネットを失った状態に置かれた老人ということである。こういう下流老人が現在増大しており,このまま行けば近い将来,高齢者の9割が下流老人になるというのが著者の見立てである。
ところで,OECDの報告によると,2012年の日本の「相対的貧困率」は約16.1%だという。「相対的貧困率」とは,統計上の中央値の半分に満たない所得しか得られていない人の割合である。要するに,これは人間らしい生活を送れるかどうかの一つの目安である。問題は,この相対的貧困率が高齢者世帯で一般世帯よりも高いということである。すなわち,65歳以上の相対的貧困率は22.0%(内閣府調査)。特に単身高齢者の相対的貧困率が高く,女性の単身高齢者に至っては52.3%と半分以上が貧困状態にあるという。
目下,相対的貧困の真っ只中で,しかも3つの「ない」状態にある私の場合,将来「下流老人」確定なわけだが

私のように相対的貧困状態から下流老人へ,いわば平行移動するケースであれば,まだ生活水準や金銭感覚の大きな変更を伴わず摩擦も小さくてすむと思うが,これまで年収400万だった人が相対的貧困(生活保護)レベルの収入しか得られなくなったら相当な苦痛と不便を伴うに違いない。本書では筆者が実際に相談・支援に当たってきた老人の例が数多く紹介されているが,そのほとんどの人が異口同音に口にするのが「自分がこんな状態になるとは思ってもいなかった」という言葉である。本書が類型化しているいくつかの下流化パターンを見れば,自分はどれにも絶対にあてはまらないと言い切れる人が今どれだけいるだろうか。退職金が1000万円ぐらいあっても病気や事故による高額な医療費で老後の資金をすべて失うパターン,高齢者介護施設に入れないために介護難民となり孤独死に至るパターン,子どもがいてもワーキングプアや鬱病であったりするために共倒れになるパターン,熟年離婚によって下流化するパターン,認知症になっても家族がいないために悪徳業者に騙されて下流化してしまうパターン,不動産を持っていても逆にそれが不良資産になって生活を圧迫するパターン,等々。
誰もが陥る可能性のある老後の貧困は,本書で再三指摘されているように,その背後には,こういう貧困を必然的に生み出す社会構造がある。その点を見ないで,何でも個人の責任に押しつけて自助・努力を促しても何の解決にならないだろう。だから下流老人の問題を単に高齢者の問題として見るのではなく,社会全体の問題としてとらえ対策を考えなくてはならない。
下流老人の問題は,対処療法ではなく,社会問題として根本から対策を立てなければ,手遅れになるということだ。(前掲書p.73)
現在少しずつ顕在化してきた高齢者の下流化は,これからはじまるであろう地殻変動の序章にすぎない。(前掲書p.106)
老後崩壊の背景にある社会の問題として重要なのは,格差の広がり,貧困の固定化という点である。これは,2000年代の新自由主義的な経済政策の失敗によるものであることは明らかである。経済が成長しても,格差や貧困がなくなるどころか,ますます拡大する構造になってしまった。なかでも非正規雇用の拡大などの雇用問題は深刻であり,早急に対策が望まれる。内部留保を拡大し続ける企業の体質も問題だろう。また経済的な側面だけでなく,年金や介護保険,生活保護など社会保障制度の改悪も格差拡大を助長しているし,住宅政策の不備は低所得層が生活保護から脱却することを不可能なものにしているという。さらに,「貧困は悪である」とか「社会保障・生活保護に頼ることは恥だ,甘えだ」といった人々の意識も問題を複雑化し解決困難な状態にしている。要は,現在のシステムがさまざまな側面から下流老人をつくり出し,社会の隅に追いやっているという事実を見落としてはいけないということである。
現在のような「経済優先・弱者切り捨て」の原則に基づいた社会システムである以上,下流老人の問題に特別な特効薬はない。仮に経済成長を遂げても,下流老人の問題は一向になくならないだろう。経済以外にも,広範な部分にメスを入れる必要がある。(前掲書p.150)
下流老人に陥るのは個人の能力不足や怠惰のせいなどではない。正すべきは,過度に経済優先の社会システムであり,ひいては人間疎外に慣らされたわたしたちの意識と感情である。(前掲書p.167)
下流老人の問題が,人間のつくった社会システムの不備から派生しているものであるなら,その社会システムを変革できるのもまた,人間である。(前掲書p.200)
貧困に対して真剣に向き合わない国に,未来はない。貧困による悲惨な現実を直視し,当事者の声から社会福祉や社会保障を組み立て直していくことが求められる。(前掲書p.201)
そこで筆者が逆転ウルトラCの奇策として提案するのが,なんと「生活保護の保険化」!。生活保護への偏見や差別意識が蔓延る現況では制度がちゃんと機能しない。そこで財源拠出化・保険料化することによって,「施し意識」から「サービスを受けて当然」という権利意識にシフトさせ,制度を利用しやすくするというものである。
さらに筆者は,生活保護制度の分解,その社会手当化も提案している。つまり現在の生活保護は,生活扶助・住宅扶助・医療扶助・教育扶助など8つの扶助をセットで提供する「救貧制度」である。これを「防貧」の観点から,一点からでも柔軟に利用できるようにするという改革案である。なかでも住宅扶助を利用しやすくすることは下流老人の拡大を防ぐ上で要の政策になるだろう。
そこで筆者は究極の提案として,「国民年金制度を廃止し,生活保護制度に一元化すること」も検討してはどうか,と書いている(前掲書p.212)。これは一部の新自由主義者が主張するベーシックインカムとは全く似て非なるもので,私も高齢期の貧困や格差の問題を解決するには生活保護制度を充実させるしかないと思っている。今の国民年金は,老後に生活の足しにもならないことは明らかなのだから,もう廃止してしまってよいだろう。保険料が無駄だと考えて支払いを拒む若者は,その意味では賢い。私は,経済の安定と成長には,消費税を減税するか廃止するのが一番いいと思っているのだが,消費税の全額を社会保障に使うことに社会的合意ができるのであれば,消費税をいわば生活保護税というか,筆者の言う生活保護の保険料として再編することを提案したい。消費税のような大衆課税は低所得者ほど負担が重くなるという逆進性が問題とされるけれども,こういう大衆課税が生活保護に使われるとなれば,負担の重い低所得者,貧困層がその生活保護を利用するわけだから公平性が担保されるし,生活保護制度も正常に機能するようになるのではないか。とにかく,生活保護制度を中心に制度の根本的な変革をしない限り,火山の超巨大噴火と原発事故のダブルパンチで日本が壊滅する遙か以前,近い将来「一億総破産」は現実のものになるだろうと思う。
と,一応冷静を装っていろいろと書いてきたが,正直なところ,まさに「明日は我が身」のさだめという思いで本書を読んだ。本書で老人のさまざまな実態を知るにつけ,他人事とは思えず,自分の将来と重ねて読んでしまい,なかなか客観的に読むことができなかった。まあ,時にはこういう読み方もいいだろうと思った。というか,筆者もおそらくこういう読み方を望んでいるのだろう。下流老人の問題を自分事として考える想像力こそ,下流化するリスクを多少とも軽減する助けになるのだから。
「一億総老後崩壊の衝撃」という本書の副題は決して大げさなものではなく,本書の内容は,ある程度予想していたとはいえ,私にとってまさしく衝撃的であった。また本書は,貧困や格差の問題が,個人の資質や能力の問題に解消しうるものではなくて,社会全体の問題,政治や政策の結果であることを知る上でも恰好の入門書となっている。是非ご一読を。
さて,あと30年,40年生き長らえたとして,もしその時この本を読み直す機会があったらどういう感想を抱くだろうか。杞憂でよかったと思うか,やっぱり現実になったと思うか。なんだか恐いが,どうなるかは私たち一人ひとりの,社会を変えようという意志と行動にかかっている...。
下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 (朝日新書)/朝日新聞出版

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