A Change Is Gonna Come/サム・クック
年の始めにはいつもこの歌を聴いて,今年こそはA change is gonna comeと願うのだが,なかなか時代の変化には巡り逢えない。アメリカ公民権運動を象徴するような曲だが,最近は何だか虚しく響く。時代は停滞し,あるいはむしろ逆行するのを見るばかりである。今年こそは,と何度誓っただろうか。狭山冤罪事件の石川さんも,下の年頭メッセージで,もう何年も「今年こそは」と言い続けてきたが今回は「今年こそ」と述べることに躊躇したとある。Changeがいかに険しい道であるかは,事実調べや再審請求を裁判所に何度も阻まれてきた石川さんが一番よくわかっているのかもしれない。あと何度,東京高裁に要請すればよいのか,あと何度,三者会議をやればよいのか,あとどれだけ署名を集めればよいのか・・・。
凡庸な結論だが,Changeの波はやはり闘いによってたぐり寄せるほかはないのだろう。そのためにも,あと一人の力が必要なのだ!君の力が欲しい・・・
大きな石を動かすために あと一人の力が要るという時 おまえが手をだして欲しい 悔いなき人生のために
(西岡多恵「わが子へ」より。「狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会公式ホームページ」から借用しました。)
〈石川一雄さんの年頭メッセージ〉
再審が適わぬ儘の越年も今年に臨む吾の意気込み
年頭にあたって
狭山再審支援運動にご協力下さっておられる全国の皆さんへ謹んで新春のお喜び申し上げます。
新年のご挨拶を書くに当たり、もう何年も「今年こそ」と言い続け、檄をとばす一方、緊迫した状況下にあって、多大なるご尽力を賜って参りましたのに、昨年も進展なく、またもや裏切ってしまい、大変申し訳ないという気持ちが先に立ち、ペンを重くさせています。
従って再度「今年こそ」と述べることに躊躇し、今年のメッセージは、私の決意を含め、支援要請のお願いは止めようかと思った次第です。
元より弁護団のご尽力、そして支援者皆さんの証拠開示、事実調べを行えの声もあって、これまで160点余りの証拠開示と、それによって明らかになった無実を明らかにする証拠が130点以上も弁護団より提出されていますが、検察官の不当な証拠隠しは続いています。あとは、裁判官の決断如何にかかってはいるものの、20回の三者協議を重ねて参りましたが、未だ、事実調べ、再審開始決定の結論が出ないまま、52回も越年し、2015年に突入して第一歩を踏み出さざるをえなくなったことは、残念でなりません。
しかし、何があっても逃げることはできませんし、冤罪を晴らすまでは、とことん闘って参る以外にございません。
どうか皆さんも今年も昨年同様に温かく、そして厳しく見守って下さいますよう心からお願い申し上げます。
末尾になりましたが、皆さんにとって今年もご健勝であられますよう、狭山の地からお祈りしつつ。
2015年1月
石川 一雄
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