長すぎた48年と短すぎた2年 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 袴田事件で再審請求が認められ,しかも拘置停止,即日釈放が決まったのは,多くの人がそう思ったように画期的で素晴らしい決定だと思った。「これ以上拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」という裁判所の言葉は,誰もが納得のいくものだし,捜査機関による証拠捏造の疑いにまで言及したのは,日本の司法にもまだ正義が残っていると思わせる画期的な決定だ。それにしても,半年前に同じ司法が名張ぶどう酒事件では再審を認めなかった,この落差は一体どういうことなんだろうか。

 再審請求審で証拠開示が決定的に重要であることは言うまでもない。狭山事件の長い再審請求を見てきて知ったのだが,担当する裁判官の裁量で証拠開示が大きく左右される。証拠開示に熱心な人ならいいが,そうでない人なら最悪で,ちっとも開示が進まない。だから裁判官が代わるたびに証拠開示を陳情する書面を作ったりするのだが,なんか裁判官の意思,熱心・不熱心で証拠開示が決まり,再審の可否が判断されるというのを見ていると,ここはホントに法治国家なんだろうかと疑念してしまうわけである。奥西死刑囚は死刑囚のまま医療刑務所で拘束され続け,他方,48年間拘置され続けた袴田さんは即日釈放され,一夜にして呼称が袴田死刑囚から袴田さんに変わるという,この半年の間に起きた差別的な決定については,正直,どう理解したらよいか,まだ整理がついていない。

 国家権力が税金を使って集めた証拠なんだから,検察が握っている証拠は全部開示するのが筋でしょう。それが裁判官の判断一つで差が出るっていうのは,日本が人治というか独裁国家だからという気がするわけです。法の下の平等って憲法の原則のはずだけど,その法が曖昧で,しかも法を司る裁判所が恣意的では,そもそも平等なんて成り立たないでしょう。だから証拠開示は一刻も早く法制化して,裁判官は法に基づいて,しっかり証拠を拾って裁判してほしいわけです。法治主義を徹底し,真に法の下の平等を実現してほしいのである。その意味で名張ぶどう酒事件も狭山事件も直ちに再審請求を認め,裁判をやり直すべきだ。


 ところで今日,福岡地裁で,すでに死刑を執行されてしまった飯塚事件の再審の可否が決定される。一体この事件はどういうことなんだろう。死刑確定後,冤罪が疑われて再審請求をしようとしていた矢先の死刑執行。
 
 飯塚事件の概要については,東京新聞平成21年6月6日付朝刊の記事を下に貼り付けておきます。

 飯塚事件、再審請求へ DNA新証拠提出目指す

 福岡県飯塚市で1992年、女児2人が殺害された「飯塚事件」で死刑が確定、昨年10月に執行された久間三千年元死刑囚=当時(70)=の遺族が今秋にも再審請求(死後再審)する方針を固めたことが5日、弁護団への取材で分かった。弁護団は菅家利和さん(62)の再審無罪が確定的となった足利事件と同様、DNA型鑑定をめぐる新証拠の提出を目指す。
 弁護団によると、飯塚事件は足利事件とほぼ同時期に、同じ「MCT118」という検査法で、DNA型鑑定が実施された。被害者の遺体に付いた血液と元死刑囚のDNA型が一致したとされ、確定判決の根拠の一つとなっている。
 血液は残っておらず、足利事件のようにDNA型を再鑑定することはできない。ただ血液から抽出された犯人のものとされるDNA型はMCT118の「16-26」タイプで、元死刑囚の遺族のDNA型と比較するなどして誤りを見つける。
 「16-26」タイプは足利事件の旧鑑定で、被害者の衣服に残った体液や菅家さんのDNA型とされたが、再鑑定では異なる結果となった。
 確定判決によると、元死刑囚は92年2月、飯塚市内の路上で小学1年の女児2人を車に乗せて誘拐し、首を絞めて殺害するなどした。94年の逮捕以降、一貫して無実を訴えていた。(共同)


 また下のリンク動画を見れば,冤罪の可能性が極めて高いことがわかる。というか,冤罪以外の何ものでもない。

「飯塚事件」~死刑執行は正しかったのか~
 
 久間被告の死刑が確定したのは2006年9月。死刑執行されたのが2008年10月。弁護団は再審請求準備中だった。それに,久間死刑囚よりも前に死刑が確定した死刑囚が多くいたにもかかわらず,なぜ死刑確定から2年あまりで執行されてしまったのか。どういう力が働いていたのだろうか。折しも,飯塚事件とほぼ同時期の足利事件で当時のDNA鑑定の信憑性が疑われ始めていた時期でもあった。冤罪がばれるとまずいから早く殺(や)ってしまえ,ということだったのだろうか。死刑執行してしまえば再審などあり得ない,と高を括っていたのかもしれない。だとしたら,日本は法治国家を装った独裁国家,殺戮国家であり,警察・司法はそれを支える暴力集団である。死刑執行当時は麻生政権下で,死刑執行書に判を押したのは森英介・法務大臣。証拠を捏造した警察・検察。それをそのまま鵜呑みにして死刑判決を下した裁判所。無実の者を犯罪視して報道したマスコミ。飯塚事件に関わった人たちの罪・責任は重い。

 死刑執行後の再審は認められない,なんていう決定はないものと信じる。袴田事件で再審を認めたように司法にまだ正義が残っているのなら。

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