放射能の安全性というイリュージョン | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 昨日,福島第一原発から20キロ圏内にある田村市都路地区の避難指示が4月1日で解除されるとの報道に接した。この方針はすでに昨年末にまとめられた国の指針で示されていたので覚悟はしていたものの,「やっぱりやったのか」という憤りに近い気持ちで受け止めた。避難指示が解除されるのはこれが初めてだが,国は今後2年ほどの間に,他の福島の6市町村についても解除を検討するという。2/23の住民説明会では半数以上の住民が強く反対したにもかかわらず,政府や行政に押し切られる形で解除が決められた。

 この避難解除は一体,何を意味するのか。この決定の基礎に安全性の認識が強く働いていることは言うまでもないであろう。国も認めているとおり,この都路地区では除染後も年間被ばく線量が1ミリシーベルトを越えるところがある。国としては,「20ミリシーベルト以下は健康への影響はない」という国際原子力機関(IAEA)の提言などに基づいて帰還を促したいのであろうが,このような数値が全く何の根拠もないものであることは,昨日書いた通りである。放射線の人間に及ぼす有害な影響,危険性に関して,過大評価はあってもよいが,過小評価は許されない。とすれば,20ミリシーベルトを盾にして,こうした規制を解除すべきではないだろう。

 このことは次のような判断にもあてはまる。すなわち,これまで福島県で見つかった33人の甲状腺がんについて「放射線の影響は考えにくい」との結論を,環境省や福島県立医大などが主催の国際的な研究会がまとめたのだという。また福島の原発事故による住民の被ばく状況を調査・分析した京大などの先生たちが「ガンへの影響は小さい」との結論を発表した,とのニュースもあった。放射線障害の疫学的調査に関して,こんな短期間で簡単に判断を下してよいものなのか。国や環境省に取り込まれた政治的判断としか言いようがない。権威のある機関や人間が公表した結論であれば,一般の人々は信じがちになるだろうが,このようなエセ科学の呪縛から,私たちは早く解放されねばならない。上の結論は,その方法で調べた限り放射線の有害な影響を検出するのに失敗したということを言っているにすぎないのであり,害がないという結論にはならないのである。現代の医学が完全にすべてを検出しうるわけではないということを,安全だということに置き換えてはならない。上のような研究発表をする人たちは,原発マネーによって学者としての矜恃も人間の良心も汚染されてしまった人たちなのである,残念ながら。

 ところで,私が事故前からずっと疑問に抱いていたこととして,原発事故による住民への被ばくのことを考えた場合,日本における原発の立地基準があまりにも甘いのではないか,ということがあった。素人感覚なのだが,原発からあんなに近いところに人が住んでいてよいものだろうか,と。そして,人が住むには原発からどれくらい離れていれば,一定の安全が確保されるものなのか,と。

 ここで,ちょっと古いが60年代に出たアメリカでの立地基準(TID14844という報告)との比較を簡単に示しておきたい(武谷三男編『原子力発電』参照)。これは長年アメリカで安全評価の指針となってきた報告書だが,それによれば,沸騰水型原子炉(電気出力約50万kw)内で空焚き事故が起こったケース(格納容器は健全に機能しているが,放射性物質の漏れを完全に止めることはできないので1日約0.1%の割合で漏洩すると想定)では,事故後2時間の滞留の間に250ミリシーベルト(なお報告書ではレムという単位だが,それをすべてシーベルトに換算した)以上の放射線,あるいは甲状腺に3000ミリシーベルト以上の放射線を受ける可能性のある地域は「排除地域」として住民は居てはならない。また,無限の時間ずっと居続けられるとして,この線量を受ける可能性のある地域(つまり事故が起こった時に2時間以内での退避が可能な地域)は「低人口地帯」でなければならない。さらに「低人口地帯」の境界までの距離の1.3倍以内に人口密集地があってはならない,とされている。こうした立地評価を若狭湾沿岸の原発にあてはめて示すと,下のような図になるが(武谷『原子力発電』p.117),全く基準に適合していないことがわかる。


 全身被ばくが250ミリシーベルト,また甲状腺被ばくが3000ミリシーベルトという基準値は,急性症状が現れる最低値という意味での基準値である。それ以下であれば,急性症状は現れず,自覚症状も臨床検査データも普通の人と区別できない。しかし,決して無害でないことは昨日書いた通りである。晩発性または遺伝性の障害が存在する。TID14844報告は,評価結果が厳しいとされて90年代に改訂されたけれども,晩発性・遺伝性のガンの発生のことを考えれば,決して厳しいものとは思われない。確かに事故時の線量をどの程度に設定するかというのは,難しい問題であろう。ただ,平常時には,原子炉周辺住民の被ばく線量は年間0.05ミリシーベルト以下におさえるということなっている。そのことから考えれば,250ミリシーベルト(平常時の5000年分に相当する)という基準はもっと低くおさえられてもよい。

 このように原発周辺の住民の被ばく評価を考えただけでも,日本の原発立地の評価は甘すぎる。例えば,実際に事故を起こした福島第一原発について見ても,双葉町とか浪江町など,あんなに原発に近いところに人が住んでいたとは,当時は俄に信じられない気持ちだった。もちろん元々住んでいた人を非難しているのではなくて,原発事故の被ばく評価を甘く見積もって,そこに原発を建てた国や電力会社が責めを負うべきであることは言うまでもない。

 アメリカのような広大な国土を持った国の基準は,日本のように人口密度が高い国にそのままにはあてはまらない。言えるのは,国土の狭い日本では,アメリカと違って「距離」という安全装置には限界があるということである。そこで次善の策として,炉全体を覆う,頑丈な鋼鉄とコンクリートでできた格納容器を強化する方向に進むしかない。しかし,その格納容器も溶けた核燃料の前にはほとんど無力であることが,福島の事故で示されたのではないか。としたら,大きな事故の時の安全装置として信用のおけるものには何があるのか。もう事故を起こさないということ以外には安全装置はないだろう。だが事故が起こらないということがあり得ないということは,自然災害や人為的ミス,テロなどを考えれば明らかである。とすれば,唯一残された安全装置は,脱原発,廃炉の道しかないのだろうと思う。とはいえ廃炉にするしても,使用済み核燃料の処理のことを考えれば,完全な安全が保障されるわけではない。日本に住んでいる限り,少なくとも今世紀中は放射能との闘いが続くだろう。だが今できうる最大限の安全は,「即脱原発」によってしか達成できないと思うのだ。だから,原発を再稼働・推進するために放射能の安全性を誇大に宣伝し,被ばく線量の基準を引き上げようとする国や電力会社,マスコミ,原子力ムラ,御用学者の連中の言うことに惑わされてはならないと思う。

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