ちょうど今,読んでいる本(梯久美子『百年の手紙』)に寺田寅彦が遺した言葉が載っていた。寺田寅彦といえば,「天災は忘れたころにやってくる」の警句で知られる物理学者・随筆家。その寺田が関東大震災後,ドイツに留学中の友人・小宮豊隆に宛てた震災絵葉書(上野付近を写した写真の余白)に次のような書き込みがなされていたという。
焼け残った電車,此れは避難民の寝所になり,又人捜しの広告塔や掲示場になつた,火の烈しかつた処では,電車の中で焼死した人も多い。
また,死の半年前に書いた「災難雑考」という随筆の中では,こう述べていた。
平生地震の研究に関係している人間の眼から見ると,日本の国土全体が一つの吊橋の上にかかっているようなもので,しかも,その吊橋の鋼索が明日にも断れるかもしれないというかなりな可能性を前に控えている。
これら寺田の言葉を読んで,今日という日に,震災の教訓を次世代に伝えていかねばという思いを改めて強くするとともに,こんな吊り橋のような国土に建つ54基もの原発のことを思うと戦慄を覚えるばかり。
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