簡単に実現できるファシスト日本 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 AMAZONで調べてみたのだが,高橋和巳の小説『邪宗門』は,手に入れやすい文庫本も含めてすべて絶版のようだった。中古だと随分と値がはっているので,なかなか手に入れにくいだろう。10年ほど前に出た『東大教師が新入生にすすめる本 』(文春新書)では8位に入っていた名著でもあり,なぜ文庫などで復刊されないのか,と疑問に思う。が,さして考えるまでもなく,読む人がいないから,売れないから,というのが実際のところだろう。

 問題はなぜ読まれなくなったのかという点にあるのだが,陰謀論よろしく,そこにストレートに権力の介入があったとは考えにくいし,そう考えるのは現実的とはいえないだろう。だが前にも書いたが,高橋和巳のような,ある意味革命的な(言うまでもなく左翼的な意味合いではない)文学や思想を邪教とするような傾向が80年代あたりから日本の学問・言論界に顕在化してきたことは確かだ。私も昔は岩波の『思想』を購読していたけれども,その『思想』でも80年代からは社会科学の比重がめっきり下がり,新ニーチェ主義や記号論が席巻してニヒリズムがラディカルな思想をのみ込んでいった。70年代後半あたりからウォーラステインの世界システム論や経済学のレギュラシオン理論が登場してきたものの日本では主流的な地位には至らず,せいぜいサイード流のオリエンタリズムが受け容れられる程度の拙い思想レベルである。その傾向は戦後派知識人の軽視と新自由主義の隆盛とも符合し,熾烈な思想的対決もなく戦後民主主義が懐疑され否定される。そうした知識人の堕落,批判的知性の欠如が,現在の政治経済社会の危機を思想的に醸成してきた一つの要因であるようにも思う。

 つまり,高橋和巳の『邪宗門』を権力が牽制する前に,すでにそれは邪宗・邪教として社会的・思想的に抹殺されていたわけである。読みたいと思う前に,すでに読もうとも思わない,思わせない状況が学問・言論・教育・報道等によってつくり上げられている。こういった非社会科学的で無思想・無批判的な状況が社会にできあがっている中では,国家は権力を恣意的に振るいやすい。今,国家主義が本性を顕わにしてきていることは誰の目にも明らかであろう。

 国家機密法(「特定秘密保護法」という呼称はやめるべきだ!)によって国民は国政に対して目隠しをされ主権を剥奪されたも同然の状態に陥る。さらに,政府が本格的検討に入った共謀罪の創設(組織犯罪処罰法の改正)は思想統制に限りなく近い代物である。治安維持法の一部復活といってよい。1925年に制定された治安維持法は1928年に改正されて最高刑を死刑としたように,国家機密漏洩や共謀罪の最高刑はいずれ死刑になるだろう。事実,80年代に自民党が提出した国家秘密法案ではスパイ行為の最高刑を死刑と定めていた。

 東京オリンピック招致がこうした動きを加速させていることは言うまでもない。国家機密法や共謀罪の制定は,五輪テロ対策という大義名分を盾に,国民の権利が侵害され,最悪の場合,冤罪で死刑にされる可能性さえ含む危険な立法である。東京オリンピック招致を喜んでいる人たちは死刑になってもやはりオリンピックをやりたいのだろうか。原発の汚染水漏れの情報にしても,防衛やテロ活動防止の観点から「特定秘密」と指定されれば国民の目からは一切覆い隠される。情報を遺漏した公務員,それを取得した記者や市民らは捕らえられ罰せられる。

 こうした情報統制・思想弾圧の立法は今後,新しい防衛大綱の策定,日本版国家安全保障会議(NSC)の創設,集団的自衛権の行使容認へと繋がっていくことは既定路線であり,その意味で軍国主義化の基礎として位置づけられる。その一連の政策の根底には個人の人権や自由よりも国家の権力や安全保障を優先するという思想があると同時に,アメリカの強い意向・干渉が働いていることは疑い得ない。日本そのものが軍事国家の完成に向かって進んでいることは戦前と同じだが,一つ決定的に違うのは,それがアメリカによる日本の植民地化と絡み合ってパラレルに進んでいることである。すなわち,日本の国家主義の外枠をさらにアメリカ帝国主義が分厚い壁となって囲い込んでいる。日本の国民はいわば二重の桎梏に科せられた状態にあるわけだ。その桎梏から逃れるには,まずは国家機密法を何としても市民の力で廃案に追い込まないといけない。

 すでに10年ほど前に情報保全隊という自衛隊の組織が作られ,イラクへの自衛隊派遣に反対する市民らを調査し情報収集していたことが発覚している。国家機密法が制定されれば,こうした組織が戦前の憲兵隊のようにさらに強い権限を持って国民の生活を監視し,反体制的な思想や運動は徹底的に弾圧されるようになるだろう。冒頭の話に戻るが,『邪宗門』の再版が出ないことは,こうした危機的状況が切迫していることと,根っこの深いところで繋がり合っているような気がするのである。戦後,作家で言えば野間宏や中野重治あたりまでは許容範囲であったが,その線を越えれば,仮に出版されたとしても,露骨な発禁措置はなくとも学者・評論家・マスコミからは書評を敬遠され,宣伝もなされず隠蔽され,いずれ絶版になる。

 有名なブロガーさんの「マスコミに載らない海外記事」(2013年8月5日付)にナオミ・ウルフの書いた「簡単な10のステップで実現できるファシスト・アメリカ」という記事が紹介されている。日本ではそのステップ7の「主要人物を攻撃する」というフェーズが公務員・国会議員をはじめ学者・作家・芸術家・市民運動家等に広く見られ,その段階はすでに実現されていると見ていい。ステップ8「マスコミを支配する」も然り。そしてステップ9「反対は反逆に等しい」と社会全体で見なされる段階の一歩手前まで日本は来ている。


 私とても国家に正義のあることを望む点においては人後におちるものではない。しかし,いかにカイゼルの支配が正義のものになろうとも,償いえぬ個々の存在の痛みを理解することは決してない。政治はその本質において,治めるものと治められるものとからなり,しかも,治められる者が辛苦して働き,治めるものが治められる者に養われながら,しかも権力を行使するものである。かかるものには一片の正義をもあたえてはならぬ・・・・・・
 (高橋和巳『邪宗門』第一部 第二五章「正統と異端」より)


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