空襲被害者排除の論理 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 先週土曜の夜にNHK Eテレで放映されていたETV特集「届かぬ訴え~空襲被害者たちの戦後~」を観た。前にもこのブログで書いたことがある名古屋空襲で左目を失った杉山さんが,空襲被害に遭った民間人の救済を目指す「全国戦災傷害者連絡会」を立ち上げ,戦時災害援護法制定の運動を引っ張ってきた跡を追ったドキュメンタリーである。

 軍人(および原爆被害者)には国の補償を認めるのに,民間の空襲被害者には補償を拒絶するという理不尽さへの憤りが運動の原動力となった。ドイツでは軍人,民間人の区別なく,社会が統合して戦後補償に取り組む姿勢も紹介されていて,日本とは対照的だなと思った。また番組内では専門家が,民間の戦傷者にまで補償の対象にしてしまうと国の財政が立ちゆかなくなるという側面もあるというようなことを話していたが,確かにそういう面はあるとしても,それ以上に私は,この問題の根底に,軍人軍属だけを祀り民間人戦死者は合祀から排除するという「靖国の論理」が働いていることを見るのである。靖国に民間人戦死者を祀れというのではない。戦争の死者から敵側の戦死者を排除し,さらに自国の死者から民間人の死者を排除して,残った日本の軍人軍属のみを弔う靖国神社の論理は,戦争を肯定し推進しようとする日本国家の政治的意志の表れであり,まさしく戦争の論理である,ということが言いたいのである(高橋哲哉『靖国問題』第4章,参照)。

 杉山さんらが制定を目指す援護法は過去14回,国会に法案が提出されたがすべて廃案になり,また司法の場でも東京大空襲などの被害補償の訴えは最高裁で棄却となり,その救済については司法判断を避けて立法による救済を促した。日本の立法も司法も靖国の論理,戦争の論理に囚われたままなのである。日本の政治が民間戦傷者への補償を拒み続ける限り,いずれ日本は再び戦争への道を突き進むだろう。何としても援護法を制定して国に空襲被害者の補償を認めさせるべきである。それは杉山さんらの積年の思いに応えるというだけでなく,日本の国家権力に蔓延る靖国=戦争の論理を否定して,それを憲法=平和の論理に転換することも意味する。


 靖国はその夥しい死者のなかから,日本軍の軍人軍属のみを選び出して合祀し,軍人軍属より多数にのぼったと言われる民間人の死者には目もくれない。例外として,軍の要請による戦闘や徴用などによる作業中に戦死した民間人は合祀されている(準軍属)。しかしいずれにせよ,一般の民間人戦死者は合祀されない。広島,長崎の一般被爆者,東京大空襲をはじめ空襲による一般戦死者など,数十万の民間人戦死者は靖国の死者とはされないのだ。
 (中略)
 靖国神社の「祭神」は,単なる「戦争の死者」ではない。日本国家の政治的意志によって選ばれた特殊な戦死者なのである。
 (高橋『靖国問題』第4章より)


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