風と光の枯木灘 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 先日,仕事の関係で東海地区私立高校の今年度版入試問題を編集していたところ,某高校の社会科の問題に紀伊半島東部沿岸部(熊野川を挟んで三重から和歌山にかけての地域)の地形図が掲げられて,いくつかの設問があった。思わず地形図を刮目してしまった。確かに地形図の問題にはしやすい地形ではあるが,それよりも何よりも,そこは歴史的,文学的な背景を持った土地。いうまでもなく大逆事件の舞台となった土地であり,また中上健次の紀州サーガの舞台でもあった。神と路地が出会う場所,そこが紀州。

 紀州を知るには変な説明よりも中上の小説を読むに限る。以下,中上健次『枯木灘』より――


 ☆ 空はまだ明けきってはいなかった。通りに面した倉庫の横に枝を大きく広げた丈高い夏ふようの木があった。花はまだ咲いていなかった。毎年夏近くに,その木には白い花が咲き,昼でも夜でもその周囲にくると白の色とにおいにひとを染めた。その木の横に止めたダンプカーに,秋幸は一人,倉庫の中から,人夫たちが来ても手をわずらわせることのないよう道具を積み込んだ。


 ☆ 郁男と秀雄を殺した。仕方がなかった。二人を殺さなければ,秋幸が殺された。秋幸はそう思った。いや秋幸は,秀雄が,あの時,郁男に殺された秋幸自身であり,実際には首を吊って自死する郁男のような気がした。郁男が諫めるように死んだ十二歳の時から,秋幸は郁男を殺したと思ってきた。すでに人は殺していた。その時から秋幸は,声変りがし,陰毛が生え,夢精をし,日増しに成長する秋幸自身におびえた。骨格は,その男に似て太かった。自分の毛ずね,地下足袋をはく足,それらは獣のものであって到底人間のものとは思えなかった。それは人殺しの体だった。
 郁男はいつも見ていた。
 郁男は,秋幸がその男そっくりに育っていくのを見ていた。
 秋幸は働いた。日を受け,風を受けた。それが二十六の秋幸のする事だった。どんな現場でもよかった。冬の日,胸までつかって浜そばで下水道に流れ込む掘り割りの底を洗った事もあった。歯の根が合わなかった。繁蔵が文昭に組をゆずってから秋幸は現場監督として働いた。夜,地下水を汲み出すポンプを見に行った。ポンプは廻っていなかった。打ったばかりのコンクリに水が入りかかっていた。冬のさなか,バケツでかき出した。夏は暑すぎた。汗が吹き出た。
 秋幸は土方を好きだった。日と共に働き,日と共に働き止める。一日,土を掘り,すくい,石垣を積み,コンクリを打った。土を掘りすくっても,物が育ち稔るわけではなかった。石垣を積み,側溝をつくり,コンクリを打って,自分が使うのではなかった。人には役立っても秋幸には徒労だった。だがその徒労がこころよかった。組の現場監督の秋幸は銭勘定ではなく,日を相手に働くその事だけでよかった。
 日が山の斜面にまで広がってきた。光が当っていた。秋幸は立ちあがった。血が太股から流れているが痛くなかった。灌木の柔らかい葉が日を受け,風に動いた。気温が上がりはじめていた。蝉の声が幾つも耳に響いていた。灌木の周りにある杉木立の中からその蝉の声がきこえ,秋幸は,何度も現場で聴いたその声を耳にし,すべてが夢だった気がした。それはその男浜村龍造の熱病がつくりあげた遠つ祖浜村孫一の見る夢なのだった。死の闇はここだった。日は海の方から昇り,山へ沈む。



 ☆ 風が吹いた。山が一斉に鳴った。
 川の向こうの山が暗かった。日はその山の向こう側を照らしているはずだった。日は海の側にあった。山を越えた向こう側に有馬があり,川を下りたところにその土地があった。蝉が鳴いていた。悲嘆の声だった。しばらくその声に耳を澄ました。自分の体が鳴っていた。人が見ると秋幸を木と見まがいかねなかった。蝉の声が自分の体の中で鳴り,秋幸は自分が木だと思った。木は日を受け,内実だけが露出する。梢の葉が揺れ,日にろうのように溶けた緑をばらまく。いきれが汗のにおいのようにある。
 浜村孫一は,枯木灘から山道を這うようにして下りて来た。それは男のつくり出した熱病だった。いや,この土地の路地の者らと同じように,有馬の者らが,枯木灘から本宮へ,本宮から海があり光がありたがやすにも畑があり,物を売るにも人がいる土地へ下りてきた事を言い伝えた神話だった。だが,その男は,信じた。正史が織田信長の軍に滅ぼされたとあるのに,手勢をつれ浜村孫一は片眼片脚となり,川を渡りさらに山を越え,有馬の里に下りた,と言った。浜村孫一終焉の地の石碑を建てたその男は,秋幸がさと子との秘密を言うと,「かまん,かまん」と言った。「アホができてもかまん」秀雄が秋幸に殺されたと知って,男はどう言うだろう。秋幸は男が怒り狂い,秋幸を産ませ,さと子を孕ませ,秀雄を産ませた自分の性器を断ち切る姿を想像した。有馬の地に建てた遠つ祖浜村孫一の石碑を打ち壊す。息が苦しかった。蝉が耳をつんざくように鳴った。梢の葉一枚一枚が白い葉裏を見せて震えた。
 秋幸は大地にひれふし,許しを乞うてもよかった。
 日の当たるところに出たかった。日を受け,日に染まり,秋幸は溶ける。樹木になり,石になり,空になる。秋幸は立ったまま草の葉のように震えた。



ブロッギン・エッセイ~自由への散策~



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