政治と芸術とのあるべき相関関係を模索する上で,トロツキズムとシュールレアリスムとの相互に自立しあった関係は重要な指針を与えてくれているように感じたので,ここにメモしておきたい。私的備忘録のようになって恐縮である。
トロツキーは,ブルドンとの共同執筆「独立革命芸術のために」を発表した後,支持者への書簡の中でこう書いている(ナヴィル『生けるトロツキー』p.107参照)。
彼(ブルドン)は,シュールレアリスト派を代表しています。私たちは彼についていささかの責任を負うものではありません。彼にとってはすべてに優先するものである芸術の領域において,当然彼は自らの自由にふるまう絶対的権利をもっています。私たちにとっては,芸術的諸傾向に口を差し挟むことが問題ではなく,問題なのは,芸術に対する全体主義的侵害に反対する共同闘争のために,これらの諸傾向をあるがまま結集させることなのです。このようなものとしての芸術的諸傾向を,一つの政治的利害に従属させようとする私たちの側からするどんな試みも,真の芸術家たちの目には私たちの評判を落とすだけのことにしかなりえないでしょう。
ここに,全体主義的な文化統制から芸術的諸傾向の多様性を守ろうというトロツキーの政治的原則を読み取ることは容易である。多様な芸術的感性を全面的に解放することこそが本来の社会主義体制の役目であるとトロツキーは考えたのであるが,社会主義かどうかは措くとして,ともかくトロツキーのこの政治的立場がスターリン主義的官僚体制とは対極的な位置にあることは言うまでもない。と同時に,それは現代の政治に対する批判原理としてもなお有効性を喪失していないということを,ここでは強調しておきたい。
政治的立場に関しては,右か左か,とか,あるいはリベラルか保守か,といった区分けがよくなされるが,文化・芸術との関わり合い方において見ることが,その政治的立場を見極めるのに最も有効な方法であると思う。そういう観点からして私は,公序良俗や青少年の安全福祉を理由に個人の才能や感性に官僚主義的拘束を加えようというダンス規制法(風営法)や児童ポルノ禁止法案などの政治には精一杯の反対を叫ぶ。
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