昨日,エクアドル共和国憲法のことを書いたのは,将来の憲法について考える上での材料を提供したかったからであり,また,いわゆる護憲派にも,今の改憲の動きに危機感をもって臨んでほしいからである。つまり,単に憲法を守るという,いわば保守的で頑なな態度だけでは世の人々の気持ちからますます離れてしまうのではないか,という深い憂慮からである。エクアドルをはじめとした中南米諸国(UNASUR)の憲法を知ることは,現時点で日本という国における現憲法の意義を確認する上でも,また自民党などの憲法案のアナクロニズムや狭隘さを看破する上でも,そして将来の憲法を構想する上でも,意外にも有意義である。それで今日は,昨日十分触れられなかった論点について若干の補足をさせてもらいたい。
1つは平和主義の問題。エクアドル憲法では第5条でこう規定している。
エクアドルは平和の領土である。いかなる外国の軍事基地も,あるいは軍事を目的とした施設も設置されてはならない。国のいかなる軍事基地も外国の軍隊あるいは外国の治安部隊に供してはならない。
この憲法条文をができたことで,エクアドルは米軍基地を国外に移転させ,米軍部隊を撤退させた。長くアメリカ帝国主義の残酷な支配を受けてきた歴史の影響から,21世紀になってもなおアメリカ軍が駐留していたことに対する住民の不満や真の主権を求める意志の表れであろう。日本もアメリカの占領を受け,さらに沖縄は長くアメリカの施政権下に置かれたままにされてきた歴史をもち,今なお多くの米軍基地が沖縄をはじめ日本の各地に残る。この状況を変えるためにも,憲法9条の3項に,外国の軍事基地や外国軍の駐留を認めないとする条項を加えようではないか。国民投票をしても過半数の賛成は得られるだろう。アメリカの干渉や妨害がなければの話だが。いつものようにかなりの極論だが,改憲というからには,このような改憲可能性もあることは是非国民に示してもらいたい。何も改憲は,国家主義・保守主義者の専売特許ではないのだから。
もう一つは,「自然の権利」という先進的な権利について。すなわち生態系の権利を保障する条項が加えられたのである。これは世界で初めてのものとされる。エクアドルではすべての人間が持つ権利と同様の権利を,「自然」が持っているのである。近代的感覚からすれば,いわばフィクションのような憲法規定であるが,豊かな自然環境の中で生きてきたエクアドルの人たちからすればナチュラルな感覚なのだろう。同じく南米のボリビアでも2010年に制定された憲法で,生命の多様性や水,大気など自然に対する諸権利が認められている。自然は,人間の活動から出る有毒な廃棄物や放射性物質から保護され,汚染のない環境の中で生きる権利を認められているのである。アメリカの法で企業が人間と同様の権利を保障されているのとは,シニカルな対照をなす。
さらには,食糧主権という国民国家としての主権をはっきり打ち出した点。すなわち,憲法で食糧主権の条項を設け,「食糧主権は個人,コミュニティ,国家,民族の文化にあった安全な食糧自給を永続的に保証する国家の戦略および義務である」と規定した。食料危機のなか,自国の農業生産を守り自給率を高めることを国民の主権として位置づけようという,農民を中心とした運動が実を結んだ形である。自国の中から内生的に生まれた国民運動が憲法に結実した!改憲論者が勘違いしているものとは違い,これこそ自主憲法というべきものでないか。日本でも,憲法に規定するほどの勢いをもって「今こそ食糧主権を」の声を上げ,TPP交渉参加を阻止すべきだろう。
中南米諸国は経済開発の後れた国といって馬鹿にしてはいけない。憲法体制において,また国家主権の確立という点では,いくつかの国は日本より先を行っている。今,日本人がエクアドル憲法から学ぶことは少なくないと思うのである。
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