あるブロガーの記事で寺山の作品にちょっと触れていただけなのに,それを読んだら寺山熱がぶり返し,「毛皮のマリー」を読み返したらまたおかまになりたくなった。若い頃なら,誰しもハシカのように必ず一度は寺山短歌のウイルスに感染するものであるが(僕は高校生のとき国語の資料集で接触感染した),それはよいとして,大人になってそのウイルスを完全に退治したと思っていても僕の体の毛細血管のどこかに潜伏していて,それが何かの拍子で発症する。寺山が完全な死体になってもう30年。目がくらみそうな年月。でも何だろう,彼の歌は。時代に取り残されたのか,時代を突き抜けているのか,よくわからんが,この30年間,僕の体内を浸蝕し続けた。そして僕はもう寺山の行年に追いついてしまったんだと気づく。
下は,没後25年だった5年前に突如刊行された,寺山の未発表短歌集『月蝕書簡』からの抜粋。晩年に作歌されたものを集めた歌集だが,若い頃に形づくられた寺山独自の世界を色濃く残している歌が多い。ゆえに,母一人に育てられ父や兄弟・子どもに恵まれなかった彼が家族のことを詠っている歌は,肉親に縁遠かった僕にとってやはり内臓をえぐられるような感覚の痛みを伴う。寺山短歌は「童心の物語等をいったん深く抱き込んで,シュールな色合いに染める」といった,本書巻末にある学者筋の解説が虚しい。
――――「消しゴムの孤島」より
父ひとり消せる分だけすりへりし消しゴムを持つ詩人の旅路
――――「影のコンパス」より
おとうとよ月蝕すすみいる夜は左手で書けわが家の歴史
――――「わが家族変」より
雨の絵を雨にぬらして運びゆくわれの義兄の義兄弟なり
――――「父の惑星」より
地の果てに燃ゆる竈をたずねつつ父ともなれぬわが冬の旅
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