愚者の志(再掲) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 昨日,大逆事件に少し触れたので,大逆事件について書いた拙記事を再掲させていただく。大逆事件については何度となく書いたが,比較的最近のものを選んだ。ちなみに秋水の『社会主義神髄』は読んだが,唯物史観を秋水流に変調しただけの印象で,内容的にそれほど魅力的なものではなかった。


 
愚者の志(2012年11月25日付記事)


 中上健次は若き日のエッセイで大逆事件に触れて,こう言っている。


 大逆の志も半世紀以上もたてば,実にみじめなほど堕落する。新宮の歴史家たちは,大石誠之助が大逆事件なんぞとまったく関係がなかったのだと言ったり,大逆事件そのものがでっちあげだと言ったりするだけで,大逆の志をもった小グループがあり,爆裂弾の研究をした。しかしそのグループは,時の天皇の権力のおおきさの前では,蚊ほどの力もないはねあがったモダニストの集団でしかなかった,として,その志に評価を与え,なぜそんなに弱々しい集団をいためつけなければならなかったのか? と考えようとしないのだろうか?大逆の危険な志をみとめないかぎり,ますますブルジョアディレッタントの手によって,堕落していくばかりだと思う。(「犯罪者永山則夫からの報告」より)


 大逆事件を,高い理想を掲げた「愚者」たち,つまり紀州の人間たちの,強大な天皇制国家権力に対する勇敢な抵抗・反乱として評価しようという,当時紀州出身の新進作家であった中上の主張である。あまり軽く見くびってはいけないと思った。大逆事件を単に時の官憲によるでっち上げとして,その点だけを殊更取り上げて事件を語るのは,まさに中央の発想だなと思う。それでは,思想の中身が深く吟味されることのない思想弾圧事件として,また単なる大逆罪(刑法第73条)という立法者の問題として片付けられ,歴史が矮小化されてしまうのではないか。事件は周辺から中央への反逆,理念の熾烈な対立という思想的契機をはらんでいる。当たり前と言えば当たり前のことだが,別の関心で中上の初期エッセイを読んでいて,大逆事件を国家権力による謀略・犯罪という面だけで捉えようとしている自分にふと気づいた。まさに中央の視点に囚われて,「愚者」の声を聞き逃している自分に。

 大石誠之助や西村伊作ら大逆事件で連座した紀州派の人々のことがもっと知られなければならないし,幸徳秋水が読まれなければならない。特に秋水の「社会主義神髄」は私にとって必読文献だが,いまだに読み進めていない自分を戒める。それは,ただ社会主義や無政府主義の思想理解としてではなく,「愚者」の志の理解として読まれねばならない。


 最後に,中上の三部作の主人公・秋幸のモデルともされる秋水の「社会主義神髄」から読書メモ。

 人はパンのみにて生きるにあらず,ということなかれ。衣食なくして,なんの自由がありえようか。なんの進歩がありえようか。なんの道徳がありえようか。なんの学芸がありえようか。中国の管敬仲のいった言葉がある。「倉庫に収穫物が一ぱいになって,人間は,礼節を知る」と。しょせん,人生の第一義は,すなわち,衣食問題である。しかも,近世文明の民である多数人類は,実に衣食の欠乏のためにあたふたしているではないか。
     (中略)
 貨財をもって子孫を害するも,
 かならずしも戈をとって,室に入らざれ。
 学術をもって,後世を殺すは,
 剣を按じて,兵を伏するがごときあり。

    (幸徳秋水「社会主義神髄」第1章「緒論」)

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