今日でやっと今年も終わる。本当に時が経つのは遅い。逆のことを言う人がほとんどだと思われるが,それは比喩すれば次のようなことを表していよう。すなわち時の流れという川があるとして,そこを流れる流量が増えれば流速は当然速くなる。つまり生活内容が充実して忙しくなればなるほど,スピード感はますますアップする(いくら時間があっても足りないという感覚)。だが,生活内容が空白であったり,心が苦痛や哀しみ,虚しさでしめられていたりすれば,時が過ぎるのは遅い。先の譬えで言えば,時の川に流れる水の質と量がともに低下すれば,流れの速度は遅くなる。
まあ,それでも終わってしまえば,喉元過ぎれば熱さを忘れるとのことわざではないけれども,師走の頃にはほとんどの人が時が経つのは速いと錯覚し,年が終わるのを待つ。さらに百年が経ち千年が経ち,疾風怒濤の如く時が私たちを蹴散らし呑み込んでいく。当然のことながら時の流れに巻き込まれている自分がいる。「1年って速いね」と言う自分。しかし他方で,生活に疲れ苦しみ,また往々にして過去を懐かしみ,時の流れを疎ましく感じる自分がいる。「早く過ぎてしまわないかな」といつも思っている自分。
どちらの自分も何とか年末まで生きのびてきた私である。後者の自分はネガティブなものと考えられがちだが,一方的な時の流れに流されず,時を双方向なものとして捉えるためにも意外と重要な役目を担っていて,これからも欠くことのできない最良の伴侶である。そう考えるに至った,精神的に辛いことの多かった今年のプライベート・ライフをここに書ける範囲で振り返りたい。
二年前の夏頃から社会貢献を志して,ある人物を介し一般社団法人の設立準備に参加し,昨年の夏頃には福島復興支援の事業を計画した。詳しくは書けないが,福島の学童保育と屋内公園の建設を目的とした事業であった。実績豊富な経営コンサルタントや福島選出の議員が理事長や理事に名を連ねており,私も理事として出資したが,そうして集められた社団の資金が私の知らないところで,何故だか不明だが反社会的なグループに渡っていたとの情報を知った。一時期,私もそのグループの一員ではないかと疑われたが,その疑いは晴れた。あとは私の出資金がどこにどう流れたのかを明らかにすべく,私のできる範囲で調べてみたが何一つ明らかにならなかった。民事とともに刑事事件として立件することを考えて弁護士に依頼し,その旨,社団の理事長である経営コンサルに通知したところ,出資金の返還の申し出があった。さしあたり返金されれば,それを元に別の形で復興支援ができると思い,気持ちも落ち着いたが,それが約9ヶ月たった今も返還されていない状況である。何度も催促をしたが返還に応じないため,今月上旬,告訴する旨を通告したところ,謝罪と不動産売却後に返金するとの回答を得た。その理事長は反社会的組織との繋がりもあるという情報も得ていたので,もしかすると私は抹殺されるのではないかという不安も抱いていたが,今年に限ってはそれは杞憂だった。しかし,また来年はどうなるかわからない。告訴に踏み切るか。それともひたすら返金を待つか。どちらもリスクが大きい。前者では相手側から理不尽な攻撃を受ける危険性があるし,後者ではこのまま事件の解明がないままに逃げられる可能性もなくはない。
今回の件で何より私が心苦しいのは,福島復興支援という大義で出したお金が,よりによって反社会的な勢力に渡ってしまったということである。結果として社会貢献どころか,いわば反社会的な行為に加担したわけである。そのことの悔悟,痛恨の念が今年の私を被い続けた。そして,いまだに復興支援を何もできないでいる。もの凄い自己嫌悪に襲われ,自律神経を乱し,めまいや脂漏性皮膚炎,脱毛,不眠症,肩痛を惹起した。また,今回の件でしばらく誰との連絡も絶っていたため,わずかながら付き合いのあった友人も失った。
10月頃まで仕事が超人的なハードさだったこともあり,持病も含めて心身の状態が極めて不良となったため,11月末から仕事を休んでちょっとゆっくりすることにした。ここ3年くらいは休みという休みが無かったから,それくらいの我が儘は許されるだろうと勝手に判断した。図書館の窓際の席に佇んで読書に勤しんだり,想い出を懐かしく抱きしめたりしているうち,年末になって気持ちも落ち着いてきた。3年前,実家に越してきた時に段ボールに詰め込んだままにしていた本を最近取り出して書棚に整理していると,今ではもう忘れていたが昔関心を寄せていたテーマや分野が思い出されて,かつて私の中に存在していた知識欲や好奇心,生きる意欲みたいなものが再び湧き上がってくるのを感じた。
難病も抱えているし社会的にも不適応であるから,私には未来の党に未来がなかったように未来はない。原発稼働と軍備増強に走る日本という国にも未来はないだろう。そんな悲観論では未来は見えてこないし,元も子もないが,何も未来に向けて進めばよいというものではない。ときには過去に遡り,時を双方向に進んで時に流されず,時が進むのが遅いなぁと感じるのも悪くない。それは往々にして苦しみや悲しみを伴う時間だが,その共感(苦しみ・悲しみの連帯)からしか未来は見えてこないだろう。闇の先にしか光が見えてこないように。ブログなどのコミュニケーションツールがその一助になることを願って,ここに唐突に今年のペンを擱く。
〔回顧の補足〕
毎年4,5回は行っていたライブに,今年は1回しか行けなかった。来年はもっと行って音楽熱を回復させようと思う。それにしても11月に観た西野カナはあれ本物だったんだろうか。金城に通っていたときとは全く別人だな。女性は変われば変わるものだ。
Dear.../西野カナ
*********************************
※パソコン用ペタこちら↓↓↓
※携帯用ペタこちら↓↓↓
※メールはこちらまで!eijing95@gmail.com


