こうろぎ | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 荷風『断腸亭日乗』の1943年九月廿六日付日記で次の偶成一篇を詠む。もちろん自身の心情を綴ったものであろうが,その「泣くに泣かれぬかなしみ」は当時,広く日本の国民に通じていたのではなかろうか。


こうろぎ

泣いても 泣いても
泣きたらで
夜はよもすがら
ひるさえも
泣く音つづくる
こうろぎの
その悲しみは
知らねども
あらんかぎりの
悲しみを
命のかぎり
泣きすだく
こうろぎの身の
羨し。
こうろぎよ。こうろぎよ。
泣くに泣かれぬ
かなしみに
泣かぬ人ある
人の世の
わがかなしみを
汝知るや。
われに教へよ。こうろぎよ。
泣くに泣かれぬ
かなしみを
泣かで忘るる
道あらば
われに教えよこうろぎよ。
汝が泣く声に
また今宵
寐もせずあかす
人の世の
わがくるしみを思へかし。



 昨日は戦場で戦う兵士のことを書いたが,あの戦争時,国内にいた国民も暗澹冥濛の極致,絶望,憂鬱な気分で戦争の行方を見,戦争協力を強いられる中で,それぞれが最期のときを覚悟していたに違いない。荷風が自らの死と共に国家の亡びも予感している日記の箇所を引いておく。上の詩の直後,二日間の日記である。


 1943年
 九月廿八日。晴。晩に陰。来十月中には米国飛行機必来襲すべしとの風説あり。上野両国の停車場は両三日この方避難の人たちにて俄に雑踏し初めたりといふ。余が友人中には田舎に行くがよしと勧告するもあり。著書及草稿だけにても田舎へ送りたまへと言ふもあり。生きてゐたりと面白くなき国なれば焼死するもよし,とは言いながら,また生きのびて武断政治の末路を目撃するも一興ならむと,さまざま思いわづらひいまだ去留を決すること能はざるなり。

 九月廿九日。くもりて暗し。午後物買ひにと銀座に行く。路傍に土俵を積みまたは土を積みたる上に草を植ゑたるもあり。この頃の雨に流れ出で泥濘沼の如くになりし処もあり。洋品店呉服店多く戸を閉し一見荒廃の光景国家既に滅亡せしが如し



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