世間は一律ゴールデンウィーク気分満載だが,しがなきフリーの私は相変わらず仕事漬けの日々が続く。特にゴールデンウィークやお盆休みなどの長期連休は会社が休みなので,下請的なフリーの私たちに大量の仕事がまとまって降りてくる。だから,通常よりも忙しく,現在かなり体力の限界に来ている。加えて,プライベートで大きな悩みを抱えて不眠が続いていて,気の利いた記事が書けそうにない。5月なのに・・・。
昨日,5月は寺山の月と書いた。5月4日は「寺山忌」だ。今日は,そのことに関して書いた昨年の記事を再掲させていただくことで,ご勘弁あれ。
P.S. 今までに多くの読者からメッセージや自らの記事の中で,心温まる励ましや的確なアドバイスなどを寄せて頂いたにもかかわらず,精神的に余裕がないことを理由に,まだ返信できていないことをここでお詫びしたい。もう少しゆとりができたら,改めて御礼するつもりでいるので,御寛容のほどを。
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5月の鷹 (2011年5月5日付ブログ記事)
目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹
(「われに五月を」より)
※なお,「統(す)ぶ」は「すべる」の意。
いつの間にか,もう五月だった。そして,昨日は寺山修司の命日。上に掲げた句は,おそらくは寺山の最高傑作の一つに数えられるだろう句である。寺山については,このブログでもさんざん語ってきたから,今日は多くを語るのはよそう。それにしても,不思議とこの句はこれまで,このブログで引いたことはなかったように思う。
5月4日はいつからか,4月29日に付けられていた「みどりの日」となってしまった。全く意味がない。何の理由付けも見つからないのなら,寺山の命日にちなんで「カモメの日」にしてほしかったものだ,とガチに思う。寺山の命日も「寺山忌」という言われ方をしているようだが,「カモメ忌」でいかがだろうか。
五月は寺山の月。二十歳になったのも五月。一番の輝きを放ったのも五月。そして散っていったのも五月だった。
上の句は,もう一度,寺山を輝かせてみせてくれる。紺碧の空高く悠々と飛翔する雄渾な鷹と,地上でせせこましく這い回る狭隘な心しか持たない自分。この二つの見事な対照,そして前者による後者の圧倒的支配力。目をつむっていても,鷹の舞う勇敢な姿が目の裏に焼き付いて離れず,自分を支配してやまず。しかし,そんな強く雄々しい鷹には決してなれない,悲しきカモメ・・・。
まぁ,そんなつまらない解釈をしても仕方がない。明るく強く元気なことだけが時代の価値観となってしまった今,暗くて病んだ,もの悲しい寺山の世界は時代遅れとして,もう振り向かれないのだろうか。いや,明るいことだけが若者の特権ではないはずだ。敢えて時代に抗して寺山を詠み続けたい。敢えて時代遅れの若者の心を詠んでみたい。虐げられた者の心の傷や嘆きを真に理解できる人間でありたい。
とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を
(「われに五月を」より)
最後に「五月の詩」序詞から。
二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥達たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥達たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した
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