操り人形 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…



 空虚! 空虚! さながら覗き眼鏡の前に立って,その奥に小さな人間や馬が動きまわっているのを眺めながら,いま眼に映っているのは錯覚ではないのだろうかと,幾度も自問をしているかのようです。自分もその中にまじって一緒に芝居をします。というよりも,操り人形のように芝居をさせられているのです。そして,ときどき隣人の木製の手をつかんでは,ぞっとして後にしざります。 (ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(岩波文庫)p.92)


 ゲーテ曰く,「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期がないなら,その人は不幸だ。

 じゃあ,ボクは幸福か?違うだろう。ゲーテはこう言おうとして,間違えた。―――「もし生涯に『ウェルテル』が自分のために書かれたと感じるような時期があるなら,その人は不幸だ!


 自分の行動の意味や意義がわからなくなり,実在感を失い,ただ芝居をさせられているような感覚。生きている実感や心の躍動感を少しも感じられない人生。それは不幸以外の何物でもない。幸せの尺度は人それぞれだという。もっともだ。『絶望の国の幸福な若者たち』によれば,現代の若者は幸せを感じているんだという。わかった,わかった。しかし,「操り人形」は不幸せであるという定理は覆せないだろうよ。空虚!空虚!何もかも空虚だ!「操り人形」とは・・・ゲーテは悪魔か,天才か。

 心は空想的幻影の世界で生きているのに,現実の世界では何食わぬ顔で芝居をして生きている。心と身体は遊離し,幻想と幻滅の往復で,ボクはもう「操り人形」となるしかなかった。不幸だろうが,何だろうが。あとは,・・・


 おお,あのなつかしい部屋で,あなたの足下に坐っていたい。 (ゲーテ,同書)




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