松風をうつつに聞くよ夏帽子
上は芥川龍之介の発句。その前書きには「震災の後増上寺のほとりを過ぐ」とある。震災とは関東大震災のことにほかならない。芥川といえば,怪奇趣味的あるいは病的なイメージがつきまとうが,地獄絵と化した東京の風景を前に,それを視覚的には表さず,聴覚を通して普遍的な哀愁を表現しているのは何とも素晴らしい。「我鬼」という俳号を持った芥川は,俳人としても天才だと思う。
生粋の東京っ子であった芥川にとって,震災で破壊された東京の光景は心を締め付けるものだったに違いない。「木がらしや東京の日のありどころ」の句にもあるように,大正時代の東京はまさに彼の心の故郷であり,その郷愁や思慕の気持ちが凝結してできたのが上の句であろう。これはまさに東京への鎮魂の句。哀愁漂う,美しい旋律が句の底に流れているのを感じる。
この句だけを見て,誰も震災後を詠んだものとは思わないだろう。だが,優れた俳句とは本来そういうものなのかもしれないと思った。震災後の情景や抒情を詠みながらも,それは普遍的な嘆きのリズムを奏でて,万人の心を打つ。ボクは今の時代にこんな句を知らない。


