昨日から仕事を再開するつもりだったが,この年末年始のだらけたモードを切り替えることが難しく,昨日はエクセルのフォーマットだけ作って終了。今日から本格稼働しないと5日の〆に間に合いそうもないので,やや焦り気味。と言いつつも,今,静かにブログに向かう。
昨日の記事で,波郷について晩年からの厳しい闘病生活という風に書いたが,やや不正確な記述で,波郷は若い頃から病苦と闘い続けていた。とりわけ晩年は,その闘病生活も過酷なものだったようである。闘病生活が長期にわたっていたことは,昨日の句自体が示している通り。ここに修正して,お詫び申し上げたい。
昨日あの句を載せたのは,自分自身も病を抱えた期間の方が,そうでない期間よりも長くなってしまったことで,共感を覚えたからにほかならない。ところで,ボクには今,もうひとつ抱えているものがある。それは病身の母。時にその二重苦の重たさに耐えきれなくなることがある。
波郷にはこんな母の句もある。
母の目の裡にわが居り石蕗の花 (石田波郷 句集『酒中花』より)
波郷の母の目には,波郷と石蕗の花とが二重写しになっていたのだろうか。それとも,母の目を通して自分自身を石蕗の花と重ね合わせ,自らの生をかみしめ見つめ直しているようにも感じる。いずれにしても,ここでも石蕗の花は,辛苦を乗り越え,芯を持って力強く生き抜こうとする志の高い花として輝いている。
自らの病と母の病という二重の桎梏で心身を磨り減らしながらも,日々を過ごし,新しい年を迎えることができた。辛いことの方が多い日常だが,そんな日常を営めること自体が貴重なことである。辛苦の時には,叙情を湛え花を詠む波郷の句から慰めと温もりと励ましをもらうことも少なくない。


