一昨日,プライベートの用で岡山まで出かけて,友人に会って話していたとき,テレビで中日対ソフトバンクのプロ野球・日本シリーズをやっていた。結局,中日が勝って2連勝したのだが,そのとき,つい先日母親と交わした会話をふと思い出した。テレビの野球中継を観ながら母が言った。―――
「お父さんは,中日が日本一になったのを見れんかったから,残念だったやろうな。」
中日は2007年の日本シリーズで勝って53年振りに日本一になっているから,2008年の9月に急死した父親は中日の日本一を見ているはずである。だから,ボクは―――
「父さんは中日が日本一になったの知っとるわ!」
と言っておいた。母もぼけてきているのかどうか,よくわからないが,中日ファンだった父は,絶対にテレビで日本シリーズを観ていて,日本一を喜んだに違いない。その頃ボクは神奈川に住んでいたので,その場面を見てはいないが,おそらく間違いない。
だから,父親も野球のことでは思い残すことはなかっただろう。今年,中日が日本一になれば,セリーグ優勝と合わせて完全制覇になり,天国の父親もさぞかし喜ぶだろうなと思いつつ,一昨日の野球中継を見ていた。
そういえば,一度だけ父と一緒にナゴヤ球場(ドームになる前)に行ったことがあった。ちょうどボクが病気でしばらく入院していて,その後,退院して間もない時期だったように思う。当時は全く知られていなかった病名で,ただ難病というレッテルだけが一人歩きしていたため,後で叔父たちから聞いたところによると,心配性の父親は勝手にボクの余命をあと半年ぐらいだと思っていたようだ。その日は球場に行く前に父の知り合いの寿司屋に行って寿司をたらふく食べた。ろくに話もしなかったが,今,思うと,その日の父は優しかった。父親と二人で出かけた唯一の思い出は,中日ドラゴンズにまつわるものだった。父は中日のことでは思い残すことはないだろうが,ボクの病気のことでは最期まで心配していたということを,叔母から聞かされる度に心が痛む。中日を応援することで多少の供養になるだろうか,と冗談じみたことを思いながら観る今年の日本シリーズである。
これまで敢えて触れなかったことだが,このブログでもよく登場する作家の寺山修司と,ボクの父親とは,誕生日がほとんど同じであった。お互い,戸籍に疑わしいところがあるのだが,戸籍を信じるとすれば1ヶ月違い。父親の思い出をほとんど持たず,また自ら父になれなかった(なりたくなかった)寺山の,死後に発表された最後の短歌が下。
父親になれざれしかな遠沖を泳ぐ老犬しばらく見つむ
ボクは,願いとはたがい,生みの父ではなく,父と同い年の寺山へと近づいていくのか。
たちまちに過去となりゆく歳月を泳ぐ寺山越える秋かな
父親にならざれしかな寺山の永遠に四十七歳の遺影
(EIJING95)
