原爆の図~広島と福島,「死の灰」と「死のえさ」をつなぐもの~ | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


ブロッギン・エッセイ~自由への散策~


 上に掲げた作品は,丸木位里・俊夫妻が描き続けた15部もの「原爆の図」のうち,第8部「救出」(1955年制作)である。実際に広島へ救護活動に駆けつけた丸木夫妻自身の姿も描いたものらしい。原爆投下から数日後の光景である。丸木俊氏による解説には,こうある。


 しとしと、雨の降る日でした。
 原爆のあと、広島ではよく雨が降りました。
 八月というのに寒いような日が続きました。

 本当は、「かあさんごめんなさい」といって逃げてきたんですと、
 泣いている人がいます。

 妻は夫を、夫は妻を、
 親は子を捨てて逃げまどわねばなりませんでした。
 救出がはじまったのはしばらくしてからのことです。



 炎が燃え盛る中で裸で折り重なっている怪我人を,必死で炎の外へ運び出す救護員たち。この中に丸木夫妻もいるのだろう。まさに地獄絵のようであるが,炎が見えない場所(左半分)には何があるか。目には見えないが,当然のことながら,高濃度の放射能で汚染されていたに違いない。丸木夫妻もこの救護活動によって被爆し,後に被爆者手帳を取得したという。左半分の余白はまさに今の日本ではないか。目にも見えず,音も匂いもなく,痛くも痒くもないが,確実に放射能性物質が漂っている。新聞紙上の解説で岡村幸宣氏が指摘してくれたように,広島と福島は,66年の時を越えて,この見えない余白でつながった。

 原爆投下も原発事故も,いずれも人が犯した罪であって,地震や津波などの天災とは本質的に違う。すなわち,いずれも原子力を用いた殺人行為にほかならぬ。上の絵の余白への想像力は,そのことを媒介項として広島と福島を結びつける。そして,その余白からの想像力は,核なき世界,原発のない国を創造するはずだ。にもかかわらず,昨日の広島平和記念式典で日本の首相がしたあいさつは,そういう想像力も創造性も微塵も感じられないものだった。首相が表明した「脱・原発依存」は,いかにも現実的ではあるが,全く危機意識のない,被爆者の痛みへの共感を欠いた,中途半端でいかがわしいものである。あの余白への沈潜と余白からの解放があれば,原発廃棄をはっきり表明できたはずであるし,非核三原則の法制化など,もっと本質的に踏み込んだ発言ができたはずである。



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 同じく丸木夫妻の「原爆の図」から第9部「焼津」(1955年制作)。この作品も,左右対称が印象的である。これは,ビキニ環礁での水爆実験のときの様子を描いた作品である。「死の灰」(放射性降下物)に怯える焼津の人々。右半双の灰色がかった色は,「死の灰」を描いているのか。当時,放射性物質は「死の灰」と呼ばれ,恐れられたが,今の日本に落ちている放射性物質(ストロンチウムやセシウムなど)と何ら変わるものではない。今は「死の灰」と呼ばず,専門用語を使って危機感を薄めているだけだ。この絵の右半分も,これまた現在の日本だ。「死の灰」にまみれた稲わらは,さしずめ「死のえさ」といったところか。水爆実験から57年の時を経て,今,ビキニと日本がつながる。


 「原爆の図」は,今でも私たちの心に多くを語りかけてくれる。ここから何をくみ取るかは観る人次第だが,果てしない想像力をもって,じっくり観れば,いかに現実主義が無益で虚しいものであるかがわかる。



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