感性の運動家 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

 昨日も書いたが,ゲバラについては虚実ないまぜに語られることが多く,彼の真実がよくわからなくなることがある。特に,ロマンティシズムをくすぐる彼の個性がそうさせるのだが,彼に対する過剰な美化や英雄視が数多見られ,今も絶えない。僕も,彼のボリビアでの武装闘争や,彼がラテンアメリカで普遍化しようとした「ゲリラ理論」は明らかに誤りだったと思うし,とりわけラテンアメリカの革命運動で多くの死と不幸をもたらしたことに対して,ゲバラ主義の責任は重い。とは言っても,ここでゲバラの人生や思想を客観的に分析して評価するつもりはない。むしろここでは,思いっ切り想像力を膨らませて,超主観的にゲバラのほんの一側面に迫ってみたいというだけの話である。


 ゲバラが陽気でおしゃべりなラテン系の人間としては寡黙であったというのは,彼が日本を訪れたときの日本の証言者たちに共通する印象である。が,その彼が広島の原爆資料館を見学をしているときに,突如,声を上げたという(三好徹『チェ・ゲバラ伝』による)。


 きみたち日本人は,アメリカにこれほど残虐な目にあわされて,腹が立たないのか。
 

 無口だったゲバラがこの時ばかりは,「原爆の惨禍の凄じさに同情と怒りをみせたのである」(『チェ・ゲバラ伝』p.206)。彼は常に革命という"政治"の渦中にいた人間であった。もちろん今の民主党がやっているような権力の側での権力闘争ではない。反権力の"民衆",権力に虐げられた"被支配者"の闘争の側にいた。キューバ革命後はカストロ政権の内部で工業相を務めるが,それも2年ほどでカストロに別れを告げて出国し,ラテンアメリカの革命闘争に身を捧げる。最後の最後まで,彼は"民衆"の運動の側に立っていた。このことは誰も否定しないだろう。多分にトロツキーの影響を受けた彼の革命理論が多くの問題を孕んでいたことは,その後の歴史が示している。その点で彼は断罪されねばならないのかもしれない。だが,彼が常に"運動"の側に立っていたということ,常に立たないではいられなかったということ,そのことは,彼が抑圧された人間の哀しみや怒りという純粋な感情を共にする側に立っていたことと同義である。すなわち,彼は"理性"よりは"感性"の側に立った政治家,というより運動家であった。彼がわれわれのロマンティシズムを刺激する所以である。かといって,彼の革命闘争や理論までが過大評価されてはならないことは言うまでもない。


 三好氏の『チェ・ゲバラ伝』には,広島でゲバラ一行を案内した見口氏の次のような言葉が紹介されている。――――「わたしの気持ちとしては,ゆっくり話せば,たとえば短歌などを話題にして話せる男ではないか,といったふうな感じでした」(p.207)


 「短歌などを話題にして話せる男」――――何かゲバラの人間性の最も核心的な部分を突いているような気がしてならない。今の日本にも短歌の感性がわかる政治家,いや運動家がいてほしいものだな,と切に思う。


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