「津波てんでんこ」と家族の絆 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 あるDJさんのブログに「最後だとわかっていたなら」という詩が紹介されていた。愛する息子を亡くした後に,家族が書いた詩である。20年前位に書かれた詩で,今回の震災とは関係はないが,「明日は誰にも約束されていないのだ」というあたりを読むと,震災で家族を亡くした人の気持ちを歌っているようにも思えてくる。また,9・11のテロの時に作られたという噂もあったようだが,実際は違う。この詩の作者(ノーマ・コーネット・マレック)がどういう形で息子を亡くしたかはわからないが,いずれにしても突然,最愛の家族を亡くした者の悲しみは,時代や国・民族を超えて通じ合うものがある。一部省略の上,ここでも紹介させていただく。英語の原詩(Tomorrow Never Comes)はこちら


~~最後だとわかっていたなら~~

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも
やり直す機会が いつでも与えられている

(略)

でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

(略)

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから



 ところで,今回の津波災害の報道の中で,「津波てんでんこ」という言葉を知った。昔から津波に苦しめられてきた三陸地方の言い伝えで,津波が来たら,家族もてんでんばらばらに,身一つで自分だけでも高台に逃げろという教えだ。だが,今回の津波でも,家族を思って家に引き返したり,自分を後回しにして家族を先に行かせたりして犠牲になったという人の話も少なからず聞く。家族を思う気持ちがある以上,「津波てんでんこ」が容易ではないということを物語っている。教訓が生かされなかったことを,誰も問い質しはしないだろう。切羽詰まった緊急非常時にこそより強くなる,親子・兄弟・夫婦の絆が,「てんでんこ」を拒み,結果,悲劇を生んでしまった。この世の不条理にやりきれない思いがする。合理主義を否定するするつもりはないが,同時に,ある種不合理な面を含んだ家族の強い絆というものが,決して断ち切れぬものとして人間の心の奥底にあることも確かだ。

 それにしても,あのようなのっぴきならない状況下で,情を排した合理的な行動がとれるだろうか。家族への思いを抜きに逃げられるのか。僕なら,愛する家族と一緒に逃げるだろう。家族を助けに家に引き返すだろうと思う。たとえ自分に明日が来なくとも,今日を後悔しないために。


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