今回の大災害後,自然の脅威や科学技術への過信などの声が聞かれるようになった。
1年ほど前,このブログ(2010年2月2日「鹿踊りの思想」)で,コンクリートの防波堤を建設することの是非について書いた。そこでは,自然の猛威を人間の科学技術で抑えつけコントロールすることには限界があって,自然に順応しようという古代日本人の発想に学ぶべきところが多いと説いた。人間の創り出したテクノロジーが自然の猛威をさらに増幅させてしまう可能性についても触れた。今回の災害は,こうした検証をなおざりにし,自然の力を征服できると見た人間の思い上がり―――文明の
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鹿踊りの思想 (2010年2月2日付ブログ)
2月2日AM2:40頃から,テレビ朝日でドキュメンタリー番組をやっていたので,何気なく観ていた。山口県防府市で昨年起きた土石流災害に関するものであった。その災害で特養ホームの入所者7人が亡くなった。番組の趣旨としては,特養ホームなどの施設が,土砂災害などの災害ポテンシャルが比較的高い地域に作られている点を問題視し,その傾向に警鐘を鳴らすことであったと思う。
その番組の趣旨とは少しずれるが,番組を観て僕が第一に感じたのは,自然災害の驚異である。防府市の地域はもともと崩れやすい地質だったらしく,そんな地域に老人ホームを造ったこと自体がおかしいのだが,そこを今,急ピッチで防砂ダムや治山ダムなどを建設しているという。そのようなダムの建設で根本的な解決になるのだろうか,というのが僕の率直な疑問である。ダムや堤防に関して,このような疑問はかなり以前から抱いていた。自然災害やダム建設について,特に自然科学的な専門知識を持ち合わせていないため,詳しい議論や批判はできないが,僕が思うところを述べたい。
自然災害による被害を避けるため,あるいはそれを最小限に抑えるために,コンクリートのダムを建設するという発想が,人間による自然の支配という観点からなされているような気がしてならない。自然の猛威を,人間が作り出した高度な科学技術によって何とか抑え付けようとする。だが,大きな自然の力の前では,人間が編み出したテクノロジーなど及びもしない。こういった経験を幾度となく人間はしてきたはずだ。反対に,人間の技術が自然の驚異を増幅させてしまったことはありはしないか。よく点検してみる必要がある。
現代の科学は,近代以降,主にヨーロッパで発達してきた科学にその根を持っている。その近代科学は簡単に言えば,人間と自然という二分法,あるいは人間vs自然という観点から,人間と自然との物質代謝の仕組みを解明することで,発展を遂げてきた。そのような科学に基づいて様々な技術が生み出された。それらはすべて自然を支配するための道具・手段であったといっても言い過ぎではない。それが近代テクノロジーの本質である。
そのような科学技術を全否定するつもりはない。そのおかげで,物質文明や文化は発達し,われわれは便利で豊かな暮らしを手に入れた。だが,自然環境保全や自然災害の問題と向き合うと,どうしても近代科学の思想的限界を感じざるを得ない。その限界を突破する糸口のようなものはどこにあるだろうか。なんとなくだが,僕はここ日本のどこかに隠れているような気がする。先ほど近代科学は元来ヨーロッパのものだと書いたが,日本(人)の科学的思想や技術にも見直すものはあるのではないか。
樋口清之『梅干と日本刀』という本を参照しながら,論じてみたい。神奈川県鎌倉市の材木座にある,約700年前に造られた防波堤は,平たい石の板や石ころを海岸から沖合いに向かっておよそ8 間(約14.4 メートル)の幅で海中に積み重ねてある。こうすると石と石の間に徐々にエネルギーが吸収されて、相当強い波でも海岸近くでは静かな流れに変わってしまう。
普通,防波堤やダムというと,コンクリートのものを思い浮かべる。だが,それは近代ヨーロッパの発想で,波の力という自然のエネルギーを計測し,その力よりも強い壁を築くことで,波をシャット・アウトするというものだ。そこで,巨大なコンクリートの建設が不可欠となる。これは,先ほど述べた人間による自然の支配という発想から来るものである。
これに対して,古代日本人は,波の力などの自然のエネルギーは計測不能なほどの巨大な力を持っていると考え,それを打ち負かし征服しようなどとは,畏れ多くも発想しなかった。そこで,巨大なコンクリートの壁を築くのではなく,先の材木座の防波堤のようなものを造ったわけである。これは,自然を支配するのではなく、自然に順応しようという知恵の結晶である。
このような日本人の発想や知恵には,近代科学の限界を乗り越える一つの鍵が秘められているように思うが,少し言い過ぎだろうか。もう一つ,日本人の文学を例にとって,考えてみたい。宮沢賢治である。
一生のほとんどを岩手県という,日本の中でもローカルな地域で過ごした賢治は,唯一の詩集「春と修羅」の中で,次のような「高原」という短い詩を書いてる。
海だべがど おら おもたれば
やつぱり光る山だたぢやい
ホウ
髪毛 風吹けば
鹿踊りだぢやい
今日は別に詩を鑑賞するつもりはないが,賢治は,見渡す限りの広い高原に立ったとき,それが一瞬海のように見えた。その瞬間,髪の毛が風に舞う自分自身も,風や光と一体になって海や山の大自然と一つにとけ合った。鹿のようになって踊っている人間は,他の動物や植物などの生命体の一種として,あるいは海,川,山,風,光といった自然風景の一部として描かれている。ここには,人間による自然支配という,おこがましい世界観ではなく,人間は自然界の一部であり,森羅万象,生きとし生けるものたちに生かされている,という謙虚な世界観が見て取れる。
このような自然への順応あるいは自然との一体化という日本人の考え方に学びながら,ヨーロッパ発の科学技術を未来に生かしていく方途を考えていきたいものだ。