危機からの脱出に向けて | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 希薄な危機意識
 福島原発ではまだ予断を許さない状況が続いている。使用済み核燃料の貯蔵プールを冷却するため,昨日は空と地上の両方から放水が行われた。深刻な危機を回避するための最終最後の命綱だ。効果があったかどうかは,東電も把握できていないが,放射線量の数値に大きな変化はなかったことから見ると,それほど効果がなかったのかもしれない。しかし今はこれしか方法はない。期待された外部電源の復旧は,昨日のうちにはできず,今日以降にずれ込んだ。電源さえ回復すれば,さし迫った危機からは脱出できそうなのだが。とりあえず炉内の冷却機能が回復しない限り,効果は不明だが空と陸からの注水作業を続けるしか手はない。

 気になるのは,東電の楽観論だ。仮にプールの水がなくなっても,核分裂反応が連鎖的に起こる再臨海には至らないという。その明確な根拠はどこにあるのか。プール内の燃料は少なくとも一部は水面から露出し,相当な高温(1200度位?)になっているはずである。どうして核分裂が起こらないと言い切れるのか。使用済み燃料だからというのだろうか。しかし,水のない高温状態の状況では,燃料棒を被う被覆管が破れたり爆発したりして大量の放射性物質が放出される可能性は十分考えられる。見当違いの素人考えだろうか。東電や政府が"最善の事態"を想定した楽観論に終始し,対応が常に"その場しのぎ"になっていることを懸念する。

 危機管理の原則
 昨日も書いたが,"最悪の事態"に備えて対策を立てるのが危機管理の常道ではないか。新聞によれば,東電は原子力発電機を惜しんで,海水注入を躊躇したという。速やかに決断していれば,今回のような深刻な事態は避けられたかもしれない。確かに不要な不安を煽って国民を混乱に陥れてはならない。だが,誰も経験したことのない,予測のできない状況である。事態を過小評価し,楽観的な予測を披露することは慎むべきである。

 テレビなどのメディアも然りで,福島県や首都圏からの避難は必要ないと,安全を繰り返す専門家ばかりが登場する始末。しかし万一,大量の放射線が飛散してきたら,この人たちはどう責任をとるのか。逆に,悲観的な想定をし避難をすべきという専門家は何故か出てこない。その意見はメディアから封じられているようにも見える。ネットでそういう意見を書いても,デマを流すなと叩かれるか,相手にされないかのどちらかだ。だが客観的に考えて,リスクを過小評価するより過大評価した方が,安全を確保できる確率は高い。もし実際に過大評価だったとしても,それで命が失われることはないし,「何もなくてよかった」と安心して終わる。多少の無駄やコストは命を担保するものであれば,誰も文句は言わないだろう。責任論も出てこないだろう。しかし,事態を過小評価し安全を信じ込まされた中で,いざ事態が悪化したら,それこそ住民はパニックになり,二次災害・三次災害と被害を拡大させてしまう。ここで書いている内容も,悲観的に書き過ぎているという非難を受けるかもしれないが,リスク管理の観点からは,そんなに過大でも誇張でもないと思っている。

 集団避難のすすめ
 今の原発の事故や被災地,避難所等の状況から考えて,あえて僕は「避難」すべきだと言いたい。国会と政府は直ちに特別措置法か政令を作って,被災地の人たちを,被災地以外の地域,特に中部以南の西日本に速やかに,組織的・集団的に移動できるように,各自治体に受け入れ態勢を整備させるべきだ。西日本の各自治体にどれだけの人員が受け入れられるのかを調査・打診し,原発周辺の高齢者・子ども・妊婦・病人等の弱者を優先して,計画的に避難・移転させるべきだ。学校や福祉施設などの公共機関も受け入れる準備を進める。幸い学校はもうすぐ春休みであり,4月からの新年度に間に合わせ,3か月なり半年なり1年なり,生徒が通える態勢を整える。それには文科省の指導も必要になってくる。

 被災地の人口が少なくなれば,救援物資の輸送や人員の配置なども負荷なく比較的スムーズに進み,燃料不足の問題も緩和されるのではないか。多くの人が西日本へ移動してくれば,救援活動や復興事業も無駄なく,効率的に行えるだろう。今はまだ東日本から西日本への交通手段は十分確保できる。できるだけ早いうちに,被災者の集団移動に向けた政府の指導力が発揮されることを求める。

 名古屋には十数万戸の空き家が
 ちなみに,ここの隣の名古屋市には十数万戸の空き家がある。単純計算だと,現在避難所生活をしている人の半分が受け入れられる計算だ。他にもこのような自治体はあるはずだ。愛知県の大村知事や名古屋市の河村市長も「中京都構想」などをぶち上げているくらいなら,被災者の多くを受け入れるプランを立てて政府に提案したらどうか。首都圏の人口が減るのに併せて首都機能も一部,名古屋に移転すればよい。愛知県の県営住宅を百数十軒,無償提供するということはニュースで聞いたが,それでは根本的解決には繋がらないだろう。

 幸いなことに,わが国では戦争中に「集団疎開」「学童疎開」の経験がある。子どもたち・女性たちにとって故郷を離れることは,この上なく辛い体験であった。しかし,今回は被災地が復興するまでの一時的な「疎開」「避難」である。被災地に留まって,食料不足・燃料不足で苦しい不便な生活を強いられるよりは,被災者にとっても,また救援活動を行う人たちにとっても好ましいと考えられる。心身の健康面から見ても長期間の避難所生活が好ましくないことは言うまでもないだろう。

 真のリーダーの不在
 図らずも長文になってしまったことをお許し願いたい。最後に,日本政府の自堕落ぶりを見るにつけ,ふと思い浮かんだことをひと言。もしGuevaraが墓場から生き返って日本を訪れたなら,真っ先に被災地に行って現状を自分の目で見ることを望んだだろう。そして避難所へ行き被災者の声を聞いただろう。キューバ革命直後に広島を無理遣り訪れて,原爆病院で被爆者の声を直接聞いたように・・・。ヘリで上空から原発を視察するという国民の支持を狙ったパフォーマンスなんかはしないだろう。日本に本当の意味でリーダーと呼べる人間がいないことが虚しい。