2,3日前,名古屋地区の深夜のテレビ番組に,鉄平(DJ・MC・タレント)が出ていて,たまたま見た。8月にガンであることを公表して,入院・休養となった鉄平だったが,早くも復帰を果たした。喜ばしいことである。ガン治療や入院生活などのことを,ガン患者とは思えないほど明るく振る舞いながら話してくれていた。入院中にも治療の経過などを,冗談を交えながらブログにアップしていたことも番組で紹介していた。自分だったら,ガン治療の最中にあのように明るく振る舞い,ある意味客観的に自分を見つめられるだろうか,と考えさせられた。彼も当然,不安や怖さはあったと思うのだが,そういう面は一切表に出さないところが若いのに立派だな,とテレビを観ていて率直に思った。
確か番組の終わりごろだったと思うが,司会の女性が「もう完治はしたんですか?」という質問に,鉄平がちょっと表情を強張らせて,次のように答えていた。――――「ガン治療の世界では5年間,再発が見られなければ,そのとき"完治した"というルールがあるから,僕の場合まだ完治したとは言えないんですよ。」
鉄平がそう言うと,周りも何と声をかけていいのか分からないというような雰囲気になったが,とにかくガン医療の世界にはそういうルールが確かにある。「5年間は完治しない」ということは,5年間は常に再発する可能性がつきまとうということである。だから,5年間は注意深く治療を続ける必要がある。悲観することはない。5年間辛抱強く治療すれば"完治"するのだから。
だが,である。このルールは必ずしも普遍的に適用できるものではない。このことは肝に銘じる必要がある。ぼくの父は食道ガンで,食道の全摘手術を行った後,5年間は再発は見られず,医者からも"完治"と太鼓判を押された。にもかかわらず,その直後,再発し,発見したときには,もう手遅れであった。約2か月後,父は亡くなったが,その教訓からガンに"完治"という言葉は使ってはいけないと思った。ガンはいつ再発するか分からないものと考えた方がよいのではないか。人は皆,"完治"という言葉を求めたがる。安心を得たいが為であるが,いくら偉い医者から発せられたとしても,その言葉に安易に飛び付いてほしくない。後悔しないためにも。
今日の医学と医療の発展した現実世界にあって,権威が作り出した虚(ウソ)を見抜く目を持つべきである。「虚の中の実」は現実を変える革新的な力を持つが,「実の中の虚」は往々にして反動的・保守的であり,人々一人ひとりを顧みるものではない。
ところで,クロ-ン病の世界では"完治"という言葉は使わない。あくまで,病気が活動期にないことを意味する「寛解」という言葉を使う。一生完治しないという現実に,発病した当初,患者は皆,愕然とし,目の前が真っ暗闇になる。僕もその一人だった。しばらく何の症状もなく調子がいいと,もしかしたら完治したのではないか,と錯覚に陥ることもあった。そう思いたかった。そして,普通の人と同じような食生活を送っていると,痛~いしっぺ返しが来る。僕は小腸と大腸の間に瘻孔(交通)が出来てしまい,十数年前,そこは切除・形成術で治したが,とにかく僕も"完治"という甘い罠にはまって,後悔した経験を持つ。"完治した"と思いたい気持ちが人間には常にある。その欲求を抑え,仲良く病気と付き合っていくという姿勢が大事だろう。「無病息災」に越したことはないが,それに勝るとも劣らないほどに「一病息災」ということもある。そういう意識を持つに至るには時間がかかるかもしれないが。
"完治"は幻想である。しかし,幻想であるからこそ価値があるのである。


