わが死後を書けばかならず春怒濤
健康な肉体を誇りながら芸術性を追求し自死した三島の死生観よりも,肝硬変を患い,既に決定した死を内包した肉体を抱えながら生き続けた寺山の死生観の方が,僕は好きだ。寺山にとって,生は偶然性の産物であった。生を偶然のもの,かりそめと見ることで彼の文学は成り立っているといっても言い過ぎではないだろう。「死ぬのはいつも他人ばかり」というのは彼の好んだ言葉であるが,この言葉の裏に,自分の生をかりそめとしかとらえられない深い絶望を読み取ることは難しくない。
秋風やひとさし指は誰の墓
偶然性の生に生きる寺山にとって,文学はハプニングであり,演劇も然りであった。ハプニングを通して幻想としての事実も虚構も,過去も現在も未来も乗り越えていく。だから,彼の作品は面白い。
書き替えられない過去はない
寺山の死生観は,彼の遺稿で,彼の最高傑作といってよい次の詩によく表れている。不完全な死体として生まれ完全な死体となることは必然であり,病をかかえていた男は必然性から目を逸らしつつ偶然性にすがって生きていた。生は偶然だから,三島のように自死する必然性はあり得ない。彼は肝硬変で余命あと数ヶ月だと分かったとき,主治医に60歳まで何とか生かせてくれないかとすがったという。死という必然性から目を逸らそうとし,偶然性の中に生きている寺山の姿が見えるような気がする。
懐かしの我が家
昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかかって
完全な死体となるのである
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町字橋本の
小さな陽あたりのいい家の庭で
外に向って育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを
子供の頃,ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ

