もしも幸せになりたいのなら・・・ | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 しあわせについて,西洋にこんなことわざがある。


If you would want to be happy for a day, go to the barbar.
(一日だけ幸せでいたいならば理髪店に行きなさい。)

If you would want to be happy for a week, buy a new car.
(一週間だけ幸せでいたいなら車を買いなさい。)

If you would want to be happy for a month, get married.
(一ヵ月だけ幸せでいたいなら結婚しなさい。)

If you would want to be happy for a year, build your own house.
(一年だけ幸せでいたいなら家を買いなさい。)

If you would want to be happy for the rest of your life, be a honest man.
(一生幸せでいたいなら正直な人間であれ。)



 人は誰しも幸せを望むはずだ。できれば一生涯,そうでありたいと願うに違いない。ならば正直であれと,このことわざは言う。

 このことわざは,「人は誰しも幸せを望むはずだ」という前提・条件のもとで成り立っている。いつ頃,西洋のどこの,誰が作ったものか知らないが,いかにも西洋らしいことわざだ。客観的な時間の観念の下で,いくつかの条件を設定しながら論理的に話題を進めて,読む者を納得させる。

 だが,上の条件が崩れたら,このことわざは成り立たなくなる。英語では,if...(もし・・・ならば)という仮定・条件を表す表現が,意外とやっかいである。大学時代に勉強した古典経済学者のリカードウの著作には,よくこの表現が出てきて,かなり手こずった経験がある。非常に理論的な書物で,その論理に付いていくのが大変だった。

 このことわざの場合は,仮定はそんなに難しいものではなく,現実的なものであるようだ。だが,ちゃんと点検してみる必要がある。人はそんなに幸せになることを望んでいるだろうか。また,何を幸せと考えるか。

 仮に一生涯,幸せでいたいと仮定して,そうであるなら正直であれと言う。では,正直とはどういうことだろうか。自分に正直であることか,他人に誠実であることか。

 東洋人の僕にとっては,これは極めて難解なことわざだ。幸せの基準や中味がよくわからないし,その上で幸せになりたいかどうかなんて,判断しようがない。だから,僕にとっては,このことわざは成り立ちにくい。

 前回も少し書いたが,今ある状態,あるがままの自分を受け入れることが大切だと思うようになった。そして,今ここにあること―――それこそが幸せではないかと。

 あるがままの自分を見つめ,今ここに生きていることに感謝すること。もしかすると,それが正直であるということかもしれない。

 そう考えてくると,見栄を張らず,また卑下もせず,あるがままの自分を正直に生きることが,すなわち幸せなことなのだろう〈正直に生きること→幸せ〉。はてさて,この結論めいたものは結局,著しく上のことわざに類似することよ。


 下は,前回紹介した四方健二さんの詩「しあわせとは」からの一節。


 生きている
 それだけのことを
 この上ないしあわせに思っている




 今日は,随分前にもこのブログで紹介したウィリアム・デヴォーンの「BE THANKFUL FOR WHAT YOU GOT」を再度アップ。「車も名声も無くても,今生きていること,今あるものに感謝しよう!」と歌った不滅の名曲。



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