小さなライブハウスのように | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 正直なところ,本ブログのアクセス数は毎日,大体100位で一定している。あまりにも少なくて笑われてしまうかもしれないが,リア友数名を含めて,ブックマークしてくれている人が40~50人いることに,実は意を強くした。もっとたくさんアクセスがあって,読者も大勢いることを最初は望んだが,逆に読者が多いことによって,あるいは読者をたくさん獲得しようとすることで,書きたい内容に無意識的にブレーキがかかったり,本当に言いたいことが言えなくなってしまうのではないか,と思うようになった。

 今はtwitter流行りで,フォロワーが何千,何万とかよく聞くたびに,デジタル情報技術もここまで来たのか,と感心するが,しかし,そこには真の心の通い合いはあるのだろうか,と疑問に感じる。そもそも利用者はそんなことは求めていないのだろうか。単なる情報伝達の手段として使っているにすぎないのかもしれない。かく言う僕も一応twitterユーザーではあるのだが,その時々の本音をつぶやくことはあっても,フォロワーに自分のことを理解してもらうために心の奥底にある本心を書き連ねようとは思わない。そんなスペースもないし,そもそもフォロワーなどいないのだけれど(笑)。

 大ホールで行われる演劇と,小劇場での演劇とでは,やはり伝わり方や伝わるものは違う。大きなコンサート会場とライブハウスとの違いでもある。伝える側(演技者)からすれば,観客・オーディエンスは多いに越したことはないが,だがしかし,受け手が少ないからこそ伝わるものがある。少ないからこそパフォーマンスできるものもある。そんな気がする。逆に,受け手側が多すぎると,受け手に迎合して一般受けするものばかりパフォーマンスするようになり,本当に自分がしたいことができなくなる恐れが出てくる。ブログでも同じで,少ないから自分の本当の思いや考えが遠慮なく発せられる。そして,わずかでも伝わるものがあると信じる。

 情報の大量生産・大量消費の時代に逆行するようなことを書いたが,これも,この小さな「ライブハウス」だから書けることかもしれない。



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