7月17日付のブログで,奈良少年刑務所の受刑者による詩集『空が青いから白をえらんだのです』(長崎出版)のことを紹介した。昨日の中日新聞・夕刊に,その編者の寮美千子さんがその書の背景やエピソードについて書いてくれていて,興味深く読んだ。
「空が青いから白をえらんだのです」という一行詩(「くも」)を書いた受刑者の少年は,薬物中毒で後遺症のある子で,普段からろれつが回らず,小声のため聞き取るのが困難だったらしい。それが,この詩をみんなの前で朗読したとたんに奇跡が起きた。はっきりした声で読み出したのだ。そして,自分の思いの丈を次のように語ったという。
「今年で,お母さんの七回忌になります。お母さんは体が弱かった。それなのに,お父さんは,いつもお母さんを殴っていた。ぼくは小さいので守ってあげられませんでした。お母さんは,亡くなる前に『つらくなったら空を見て。そこにわたしはいるから』と言いました。お母さんを思ってこの詩を書きました。」
詩が,受刑者の閉ざされた心の扉を開いた瞬間である。また,この詩の朗読を聞いていた受刑者たちにも変化が生じた。ある少年は,「僕はお母さんを知りません。けれどこの詩を読んで空を見たら,お母さんに会えるような気がしました。」と言ったとたん,わっと泣き出してしまったらしい。詩は,聞く者の心の扉も開く。
受刑者は,心の扉が開かれたとき,すなわち感受性が芽生えたときに初めて,被害者の心の痛みを感じ,自らの罪とも向き合える。その意味では,昨今の少年犯罪厳罰化の流れは,どこか本質を見落としていないだろうか。厳罰のみが少年犯罪を減らし,再犯を防ぐとは到底思えない。犯罪者に対して刑罰を科すのは当然であるが,重い罰を科すことで少年が罪の重大性を認識でき,再犯を防止できるといった,何の科学的根拠もない空虚なレトリックによって,少年法は改正されているのだ。
この詩集を読めば,こうした論理が机上の空論であることが分かるだろう。保護主義(犯罪者の教育的処遇)がベストだと言いたいのではない。言いたいのは,罰だけが再犯を防ぐ道ではないということである。もちろん被害者側の処罰感情にも配慮せねばならない。しかし最も大切なのは,加害者自身が被害者の痛みや気持ちを実感し理解することではないだろうか。それを本当に実感し理解したとき,加害者はどんな罰よりもつらく,苦しい思いに嘖(さいな)まれるはずだ。そして,一生をかけて自らの罪を償おうという思いに駆られるだろう。そんな人が再犯に走るだろうか。
いかに少年受刑者たちのすさんだ心に感受性を芽生えさせてあげられるか,心の扉を開いてあげることができるか―――この点が再犯防止や教育更正の要になると思う。その意味で,寮美千子さんが行っている,詩の創作を一つのテーマにした更正プログラムは大変意義深いものだったと思われる。病んだ心を癒し,感じる心を蘇らせる詩の力を改めて強く感じる。そして,「人は変われるんだ」「人は変わるんだ」ということを確信できた。
