このブログに"らしからぬ"タイトルを付けた。先日サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会の日本代表23名が発表されたが,なにもスポーツ紙やテレビ番組に煽られて,サッカー日本代表について応援したりコメントしたりしようというのではない。誰が選ばれた,誰が落選した,サプライズがあったのなかったの,とマスコミは騒ぎ立てたが,この大会のサッカー日本代表に選ばれ,南アフリカに行って試合をすることが,どういう意味を持つのか,よ~く考えてみたいのだ。
いきなり話がそれるが,サッカーの起源を辿ると,それは中世11世紀頃まで遡る。初めはボールではなく,人間の頭蓋骨を蹴って始まった競技だといわれている。すなわち,デンマークに支配されていたイングランド人(アングロサクソン)たちが,敵兵であるデンマーク兵の頭蓋骨を蹴ったのが始まりであるとされる。つまりイングランド人の憎しみが,このスポーツの発端になったという訳だ。日本でも中世に蹴鞠という遊びはあったが,足で蹴るというのは,あまり上品な行為とは見なされない。「足蹴にする」「蹴散らす」などの言葉は,憎しみのこもった野蛮な行為を指す。
ともあれ,このイングランド人の憎しみから出発した「蹴る」という行為が,やがて丸いボールを蹴る1つのゲームとしてのルールを持つようになったのは,産業革命の頃から,都市のパプリックスクールにおいてであった。1848年にはケンブリッジ大学でサッカー(フットボール)としての競技のルールが制定された。 これが近代サッカーの始まりと言われる。以後,イギリスの国技として発達しただけでなく,「世界最大のスポーツ」と言われるまでに世界中に広まった。
ルールは極めて簡単。ゴールキーパー以外は手を使ってはいけない!(そんなことは誰でも知っている!)逆に言えば,手以外の体のあらゆる部分を使って,敵のゴールネットに大きなボールを叩き込むスポーツだ。野球のように,手を使って小さなボールを投げ,細い棒で打ち,最終目標がホーム(家)に帰ってくるといった,穏やかで文明的な,マイホーム指向の競技ではない。頭蓋骨大のボールを奪い合い,相手のゴールを目がけて蹴り込むことが目的なのだ。このようにサッカーが,「憎しみから始まった競技」であり,野蛮性を備えたスポーツであることを,代表選手たちのみならず,現代サッカー人,皆が自覚すべきである。
サッカーは,野蛮さというか男らしさというか野性,そういった現代人が失い忘れたものを取り戻すことができる数少ない競技なのだ。世界中で人気のある秘密は1つには,その辺りにもあるのではないか。かなりの暴論だが・・・。
さて,本題はここから。このもともと怨念の競技であったサッカーが,今の世界の中で最も格差が大きい社会と言われている南アフリカ共和国で開かれることの現実的意味を問いたい。野蛮な競技が,(誤解を恐れずに言うと)野蛮な国で行われることに対して,代表選手,および代表に選ばれることを望んでいた選手たちが,深く思慮し,それなりの覚悟ができていたかどうか。テロや暴動,犯罪,災害や伝染病など,何が起こるかわからない国で,サッカーをする自信があるのかどうか。
岡田監督は,あらゆるシチュエーションを想定し,それぞれに機能できる選手23名を選んだと言っていた。選抜基準を機能面に置くのは良いが,そこで考えられているのはゲーム内での機能だろう。日本では考えられない,上のような不測の事態を想定し,どんな状況でもちゃんとプレーし機能できる選手かどうか。いわば文明的でマイホーム的な足技の巧みな選手は多いが,rudeで闘争本能に勝れた選手は見当たらない。かつてのラモスや秋田,中山や戸田,久保といったような選手。今回,岡田監督は,1998年のフランス大会のときに三浦カズや北沢を外したのと同じ誤りを犯した。そもそもゲーム機能や戦術的な基準だけで選抜する岡田監督ではそのような選手は選ばれないだろう。ならば,監督は元読売クラブやヴェルディで活躍した加藤久(現・京都サンガ監督)か松木安太郎にするか。あるいはヒディングを呼んでくるか。
そんなとんでも無い監督人事や選手起用は聞いたことがないが,サッカー解説者やスポーツ記者の月並みな解説よりは,僕は,サッカー素人で素朴な1人の酒場のホステスの声に耳を傾けてみたい。2006年ワールドカップ・ドイツ大会で,日本が初戦のオーストラリア戦で後半に,1対0から,一気に3点入れられて逆転されたときに,いみじくも「日本人はハートが弱いね!」と言った。ここで言う,女から見た日本人男の「ハート」とは,上で述べてきた野蛮性とか闘争心とか男らしさといったことにほかならない。その点からみても,今回の大会の結果は見えているのではないか。
サッカーの野蛮さや残酷さを表す最近の事件として,1994年ワールドカップ・アメリカ大会で,コロンビアの選手がオウンゴール(かつては自殺点といった)をしてしまい,予選敗退し帰国後に射殺された事件がある。また,今回日本が初戦で対戦するカメルーンでは,2006年ワールドカップ・ドイツ大会のアフリカ最終予選でカメルーンのウォメ選手が試合終了間際のPKを失敗してしまい、チームがワールドカップの出場権を逃してしまったため,その選手は国内で憎悪の対象となり,家族ともども命の危険にさらされたという。
そのような憎悪・怨念うずまくサッカーの世界大会が,同じような情念がほとばしる国,南アフリカで行われるのだ。南アフリカといえば,よく知られているように,かつてはアパルトヘイト(人種隔離政策)の国。アパルトヘイトの下で,白人によって差別され虐げられてきた黒人が抱いている恨み・つらみは,半端なものではないだろう。アパルトヘイト撤廃後は制度として黒人差別は解消され,富を蓄え地位を上昇させる黒人も現れたが,現実的には未だに差別は残り,また,逆に黒人間・部族間の差別は増幅の兆しがある。「世界最大の格差社会」と言われる根源は,数十年にわたって続いたアパルトヘイトにあるのだ。さらに言えば,18世紀末から長らく続いたイギリス(白人=アングロサクソン)の無責任な植民地支配が諸悪の根源にある。(この点はややこしい問題なので今日は割愛する。なお,南アフリカは紆余曲折を経て現在,イギリス連邦British Commonwealthに加盟している。)
「世界最大のスポーツ大会」が「世界最大の格差社会」で開催されることの歴史的重みや深刻さを,マスコミはもっと世間に知らせる必要がある。試合が行われるスタジアムとは目と鼻の先にあるスラム街に住む黒人の母親女性が,「ワールドカップは私たちには関係ないわ。国は私たちのためには何もしてくれないの。私たちには明日も希望も何もないわ」と,悲しげに呟いていたのを,先日テレビで観た。確かにワールドカップを開催する前に,国としてやることがあったかもしれないと思う。逆にワールドカップが,格差を是正し,治安が良くなる契機になれば,と願うが,得てして,こうした国家的事業は富を一部の人々に偏向・集中させる傾向がある。それを危惧する。
イングランド人の憎しみから始まったサッカーだが,それが今度の南アフリカ大会で,南アフリカの人々,特に下層の人たちの憎しみや怨念を掻き立てるような大会にはしてほしくない。
ワールドカップについて思い付くがままに書き連ね,まとまりのない文章になってしまった。お詫びしたい。気分を一新して,南アフリカとは反対側の北アメリカ発のR&BやHIP HOPで楽しもう。1曲目は,白人プロデューサー/アーティストのロビン・シックのfunkyなR&Bナンバー。フェイス・エバンスをフィーチャーした「GOT 2 BE DOWN」。
2曲目は,B.O.B. FEAT.エミネム & ハーレー・ウィリアムスの「AIRPLANES PART2」。B.O.Bは今はやりの「NOTHIN' ON YOU」より,こっちの方が男らしくて格好良い。
3曲目は,リアーナの「Rude Boy」。以前もアップしたが,動画削除されているようなので,再アップ。女子はrudeな男子が好き?
4曲目は,キアーナの「Could You Be The One」。最新曲「NEED TO KNOW」が美メロで良いのだが,まだYou Tubeにアップされていないので,このヒット曲にした。リアーナと名前も声もが似ているが,別人。カリフォルニア出身の15歳。“オトナカワイイ”ルックスに天性の歌声を持つ。