ちょっと笑って リフレッシュ
こんにちは、マネジメントとコミュニケーションの
専門家、決断コンサルタントの木村英一です。
ダジャレ大好きなので、
これ、ほんとうに元気もらいました!
3時のおやつのかわりに、
笑いいかがですか?
噴出さないように、お気をつけて!
おもしろサラリーマン川柳
MAC博士 の記事にありました
ちょっとクスッと
リフレッシュ!
マネジメントとコミュニケーションの
専門家、決断コンサルタントの木村英一でした
御協力 お願いします!
↓

明日を叶える 決断コンサルタント
木村英一
http://www.change-growth.jp
専門家、決断コンサルタントの木村英一です。
ダジャレ大好きなので、
これ、ほんとうに元気もらいました!
3時のおやつのかわりに、
笑いいかがですか?
噴出さないように、お気をつけて!
おもしろサラリーマン川柳
MAC博士 の記事にありました
ちょっとクスッと
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ストレスゼロ で 仕事する!
こんにちは、マネジメントとコミュニケーションの
専門家、決断コンサルタントの木村英一です。
一昨年の7月に「ストレスゼロの仕事術」を出版し
早1年半です
まだまだ力不足で、うつの人は増え、自殺者も減らない
悪いストレスは、悪性腫瘍と一緒で、人の未来を
奪います
良いストレスも、長期間続くと、時に、良性腫瘍が
悪性腫瘍に変わるように、悪性腫瘍に変化することが
あります
私は、ストレスが元だと思われる病気で近い人を
亡くしました
ストレスが元で、
人が元気をなくし
人が病気になったり、
最悪、命まで奪われる
そんなことは、絶対 にあってはな
ならないと思うのです
私がなぜ、ストレスゼロの仕事術を
書いたのか、
そんな思いを語りました
マネジメントとコミュニケーションの
専門家、決断コンサルタントの木村英一でした
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一昨年の7月に「ストレスゼロの仕事術」を出版し
早1年半です
まだまだ力不足で、うつの人は増え、自殺者も減らない
悪いストレスは、悪性腫瘍と一緒で、人の未来を
奪います
良いストレスも、長期間続くと、時に、良性腫瘍が
悪性腫瘍に変わるように、悪性腫瘍に変化することが
あります
私は、ストレスが元だと思われる病気で近い人を
亡くしました
ストレスが元で、
人が元気をなくし
人が病気になったり、
最悪、命まで奪われる
そんなことは、絶対 にあってはな
ならないと思うのです
私がなぜ、ストレスゼロの仕事術を
書いたのか、
そんな思いを語りました
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人を論理で動かす 人を気持で動かす その5
こんにちは、マネジメントとコミュニケーションの
専門家、決断コンサルタントの木村英一です。
こんなに長く続く予定ではなかったのですが、、、
「人を論理で動かす 人を気持で動かす その5」を
お伝えします
事業統括という仕事について、
すぐにやったことは、「リストラ」
でした
ただ、そのリストラは、正式には
1カ月という超短期間終了しました
当初目標としていた、拠点数に
統合が終了したのでした
ところが、
マスコミの煽りもあって
職場の混乱は続きました
目標の固定費削減は終了したので
本来は、売上を上げるステージ
に入るはずだったのです
ですが、
現場の雰囲気といえば、
「次にまた誰か辞めていくのではないか?」
という疑心暗鬼が蔓延していたのです
そんな状況の中、
私は一日も早い黒字化を実現すべく
「仕組み」
を模索していました
短期的な黒字化
のための打ち手
やり方は、二つでした
ひとつは、
売上を上げること
もうひとつは、
費用を更に圧縮すること
とても単純です
ただ、誰がみても、
後者には未来がありません。
だから、売上を上げよう
という看板を掲げました
「売上を上げよう!
売上を上げなければ、会社が存続できない
会社が存続できなければ、サービスの提供が
できない
すると、お客様に迷惑をかけてしまう」
当時私は、1000人を超える部門を
統括していましたが、
私の直属には、7-8名の部下が
おりました
その部下に対して、
上記のことを繰り返し伝達するように
伝えました
あなたは、想像できますか?
その結果どうなったか?
上記のメッセージのほとんどは無視されました
ですが、
現場に響いた言葉がひとつだけ
ありました
それは、
「お客様に迷惑をかけてはいけない」
だったんです
意図していなかったですが、
これが、「気持を動かすメッセージ」
だったんですね。
実際、
この言葉に反応して、
現場の頑張りというのはすさまじかった!
というのも、
すでに、現場は、半乾きのぞうきんを
きつく絞って、バケツに水を集めるような
状態でした
そして、現場で起こったことは、
その状態に耐えられず、
一人また一人とバタバタと倒れていったのです
それは、退職という形で、、
すると、それは、
結果的に、更なる固定費の削減に
つながったのです
固定費を削り、それを変動費に変えることが
できれば、
全てはうまくいったことでしょう
ところが現場で進行していたことは、
ただ、単に、一人抜け、二人抜け
その穴を同じ戦力で一生懸命カバーする
ということが行われていたのです
誰がどう見ても、それは、永続する形
ではありません
でも、私は全く気がつくことはありませんでした
当時私は、管轄する拠点が多いのを理由に
拠点との接点はすべて部下に任せて
いました
だから、この状態を私は全く理解
していなかったのです
部下からはひょっとしたら、声も
上がっていたのかもしれませんが、
私にはその記憶がありません。
想像に難くないことは、
当時部下が、私に対して、
仮に、
「難しいとか」
「これ以上無理」
という言葉を聞いたら、
「それをやれるようにするのがあなたの
仕事でしょう?!」
といって突き返していたんだと
思います。
とり方によると非常な上司
でも、私は、具体的なやり方を知っているわけでは
なく、ただ、そう返答するしかなかったのです
もちろん、これは理想の上司とは程遠い
そう、私は最悪の上司でした
私自身当時は、ほんとうに未熟でした
そして、ベンチャー企業は、いやゆるドベンチャー
だったので、
「不可能を可能にする」のがベンチャー
という信条を、金科玉条として、
信望していました
「できない」といってはいけない!
これは、もうどんな時でも、私を支える言葉
でした
ただ、その考えには重大な欠点があったんです。
正解は、
「できない」と思ったら、「どうやったらできるか」
を考え実行しろ!
だったのです。
当たり前ですよね。
でも、
当時の私は、
「できない」といってはいけない!
だけ。
それ以上でも、それ以下でもない
だから、
もしその状況に直面したら、
「踏ん張れ!」
だったんです
まるで旧日本軍の玉砕命令のようですが
当時の私には、それしかできなかった
そして、私は、もう完全に感覚がマヒ
してましたので、
この大方針を貫きました
私が唯一見ていたのは、損益表でした
そして、人が辞める度に、損益は
改善。
社内で一番に黒字すると共に、
全社の一割の利益を稼ぎだす状態に
なりました。
全社の注目を浴びるなか、
転機はすぐに訪れました
それは、
売上の伸びが
ピタッと止まったのです
そこで、現場の状態は、
「半乾きのぞうきん」
ではなく、「乾いたぞうきん」
になっていたのです
でも私は、
これまで頑張ったので、少し
休憩も必要だ
くらいに考えていました
ちょっと話しはそれますが、
人は、自分の行動の意義を見出せない
状態が続くと、ものすごいストレスを
抱えます
そして、それは組織も同じです
頑張ったら、頑張ったなりに売上
があがるなら、まだいい
でも、
頑張っても、頑張っても、売上が
あがらない
この「行動の意義」が見えない状態
が3か月続くと、人も組織もおかしく
なります
そして、まさに、その状態が進行
していたのです
残った人数で支え切れなくなった
拠点が、ある日突然全滅する
というケースが、ポロポロ
出始めたのです
そうなると、私の直属の部下は
担当するエリアの
全滅寸前のセンターをサポート
する
これは、大変な労力がいります
そして、ついに人出が足りなくなり
私自身も、直接センターの業務の
サポートに回る・・・
今思えば、これは典型的に
「結果がでない組織」の形です
私は、まんまとこの状況にはまり
こんで行きました
そして
私と部下が、全滅寸前の
拠点にかかりっきりになる間に
次々を問題が噴出し、
ついに、総売上が下がり始める
という事態になったのです
悪いことは続くもので、
それまで
二人三脚でやってきた
私の上司は私を見限り、
私は、解任されます
システム一辺倒だった
私のマネジメント全否定され
ました
理詰めで人は動かない
理詰めで組織は維持できない
大きな挫折感と
大きな損失を出しながら
私が学んだことでした
ただ、当時の私はクールに
学びを整理できるような状態では
ありませんした
プライドは、粉々になり
その後しばらく、どうしていたのか
あまり記憶がありません。
ただ、
解任を機に、
鳴りっぱなしだった電話が
ぴたりと止まり、
寂しさをかみしめつつ
ほっとしてた自分もそこに
ありました
解任される前の数カ月は
もうどうしたいいかわからない
日々が続いていから
だったと思います
解任後は、、
新しい人事制度を作るプロジェクトに
合サインされました
現場にも精通しているから、、、
という名目で、本社勤務になり
本社にもどります
ところが、
本社に戻った時、私が以前いた本社
ではありませんでした
そこは、
まさに「論理」と「感情(気持ち)」
感情が激しくぶつかり合う
戦場となっていました
会社全体として、成長が止まり
組織の中にたまったストレスは、
本社自体も揺るがしていたんです
明日は、続きをお伝えします
マネジメントとコミュニケーションの
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こんなに長く続く予定ではなかったのですが、、、
「人を論理で動かす 人を気持で動かす その5」を
お伝えします
事業統括という仕事について、
すぐにやったことは、「リストラ」
でした
ただ、そのリストラは、正式には
1カ月という超短期間終了しました
当初目標としていた、拠点数に
統合が終了したのでした
ところが、
マスコミの煽りもあって
職場の混乱は続きました
目標の固定費削減は終了したので
本来は、売上を上げるステージ
に入るはずだったのです
ですが、
現場の雰囲気といえば、
「次にまた誰か辞めていくのではないか?」
という疑心暗鬼が蔓延していたのです
そんな状況の中、
私は一日も早い黒字化を実現すべく
「仕組み」
を模索していました
短期的な黒字化
のための打ち手
やり方は、二つでした
ひとつは、
売上を上げること
もうひとつは、
費用を更に圧縮すること
とても単純です
ただ、誰がみても、
後者には未来がありません。
だから、売上を上げよう
という看板を掲げました
「売上を上げよう!
売上を上げなければ、会社が存続できない
会社が存続できなければ、サービスの提供が
できない
すると、お客様に迷惑をかけてしまう」
当時私は、1000人を超える部門を
統括していましたが、
私の直属には、7-8名の部下が
おりました
その部下に対して、
上記のことを繰り返し伝達するように
伝えました
あなたは、想像できますか?
その結果どうなったか?
上記のメッセージのほとんどは無視されました
ですが、
現場に響いた言葉がひとつだけ
ありました
それは、
「お客様に迷惑をかけてはいけない」
だったんです
意図していなかったですが、
これが、「気持を動かすメッセージ」
だったんですね。
実際、
この言葉に反応して、
現場の頑張りというのはすさまじかった!
というのも、
すでに、現場は、半乾きのぞうきんを
きつく絞って、バケツに水を集めるような
状態でした
そして、現場で起こったことは、
その状態に耐えられず、
一人また一人とバタバタと倒れていったのです
それは、退職という形で、、
すると、それは、
結果的に、更なる固定費の削減に
つながったのです
固定費を削り、それを変動費に変えることが
できれば、
全てはうまくいったことでしょう
ところが現場で進行していたことは、
ただ、単に、一人抜け、二人抜け
その穴を同じ戦力で一生懸命カバーする
ということが行われていたのです
誰がどう見ても、それは、永続する形
ではありません
でも、私は全く気がつくことはありませんでした
当時私は、管轄する拠点が多いのを理由に
拠点との接点はすべて部下に任せて
いました
だから、この状態を私は全く理解
していなかったのです
部下からはひょっとしたら、声も
上がっていたのかもしれませんが、
私にはその記憶がありません。
想像に難くないことは、
当時部下が、私に対して、
仮に、
「難しいとか」
「これ以上無理」
という言葉を聞いたら、
「それをやれるようにするのがあなたの
仕事でしょう?!」
といって突き返していたんだと
思います。
とり方によると非常な上司
でも、私は、具体的なやり方を知っているわけでは
なく、ただ、そう返答するしかなかったのです
もちろん、これは理想の上司とは程遠い
そう、私は最悪の上司でした
私自身当時は、ほんとうに未熟でした
そして、ベンチャー企業は、いやゆるドベンチャー
だったので、
「不可能を可能にする」のがベンチャー
という信条を、金科玉条として、
信望していました
「できない」といってはいけない!
これは、もうどんな時でも、私を支える言葉
でした
ただ、その考えには重大な欠点があったんです。
正解は、
「できない」と思ったら、「どうやったらできるか」
を考え実行しろ!
だったのです。
当たり前ですよね。
でも、
当時の私は、
「できない」といってはいけない!
だけ。
それ以上でも、それ以下でもない
だから、
もしその状況に直面したら、
「踏ん張れ!」
だったんです
まるで旧日本軍の玉砕命令のようですが
当時の私には、それしかできなかった
そして、私は、もう完全に感覚がマヒ
してましたので、
この大方針を貫きました
私が唯一見ていたのは、損益表でした
そして、人が辞める度に、損益は
改善。
社内で一番に黒字すると共に、
全社の一割の利益を稼ぎだす状態に
なりました。
全社の注目を浴びるなか、
転機はすぐに訪れました
それは、
売上の伸びが
ピタッと止まったのです
そこで、現場の状態は、
「半乾きのぞうきん」
ではなく、「乾いたぞうきん」
になっていたのです
でも私は、
これまで頑張ったので、少し
休憩も必要だ
くらいに考えていました
ちょっと話しはそれますが、
人は、自分の行動の意義を見出せない
状態が続くと、ものすごいストレスを
抱えます
そして、それは組織も同じです
頑張ったら、頑張ったなりに売上
があがるなら、まだいい
でも、
頑張っても、頑張っても、売上が
あがらない
この「行動の意義」が見えない状態
が3か月続くと、人も組織もおかしく
なります
そして、まさに、その状態が進行
していたのです
残った人数で支え切れなくなった
拠点が、ある日突然全滅する
というケースが、ポロポロ
出始めたのです
そうなると、私の直属の部下は
担当するエリアの
全滅寸前のセンターをサポート
する
これは、大変な労力がいります
そして、ついに人出が足りなくなり
私自身も、直接センターの業務の
サポートに回る・・・
今思えば、これは典型的に
「結果がでない組織」の形です
私は、まんまとこの状況にはまり
こんで行きました
そして
私と部下が、全滅寸前の
拠点にかかりっきりになる間に
次々を問題が噴出し、
ついに、総売上が下がり始める
という事態になったのです
悪いことは続くもので、
それまで
二人三脚でやってきた
私の上司は私を見限り、
私は、解任されます
システム一辺倒だった
私のマネジメント全否定され
ました
理詰めで人は動かない
理詰めで組織は維持できない
大きな挫折感と
大きな損失を出しながら
私が学んだことでした
ただ、当時の私はクールに
学びを整理できるような状態では
ありませんした
プライドは、粉々になり
その後しばらく、どうしていたのか
あまり記憶がありません。
ただ、
解任を機に、
鳴りっぱなしだった電話が
ぴたりと止まり、
寂しさをかみしめつつ
ほっとしてた自分もそこに
ありました
解任される前の数カ月は
もうどうしたいいかわからない
日々が続いていから
だったと思います
解任後は、、
新しい人事制度を作るプロジェクトに
合サインされました
現場にも精通しているから、、、
という名目で、本社勤務になり
本社にもどります
ところが、
本社に戻った時、私が以前いた本社
ではありませんでした
そこは、
まさに「論理」と「感情(気持ち)」
感情が激しくぶつかり合う
戦場となっていました
会社全体として、成長が止まり
組織の中にたまったストレスは、
本社自体も揺るがしていたんです
明日は、続きをお伝えします
マネジメントとコミュニケーションの
専門家、決断コンサルタントの木村英一でした
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明日を叶える 決断コンサルタント
木村英一
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