小学校6年2学期 陰湿なイジメに晒される 生い立ち 3
こんにちは、マネジメントとコミュニケーションの
専門家、決断コンサルタントの木村英一です。
生い立ち その3 です。
小学校3回目の転校。
ここで、大きな挫折を味わうことになります。
2学期が始まると同時に、東京の学校に転校となりました。
でも、
東京の学校は、ちょっと雰囲気が違っていたのです。
九州の小学校では、先生が質問すれば、すぐに
みんなが競って手をあげてました。
だから、
私は、それが当たり前だと思っていたのです。
ところが、
東京の学校では、先生が聞いてもシーンとしてました。
先生の質問の内容は、九州の学校に比べると
とても幼稚で、簡単な物ばかりでしたが、
誰も手を挙げませんでした。
私は、それまで通り、手を挙げていただけなのですが、
どうやらそれが、その後の暗い生活の入り口
になってしまったのです。
クラスには、ボスの少年がいたのです。
そのボスに、すぐに休み時間に、物陰につれていかれました。
「もう手を挙げたりするなよ」
そのボスの男の子は、身体が大きく、見るからに
力が強そう。
未体験の事でしたが、転校したばかりだったので
それに従う以外に選択肢はなかったのです。
そのボスに鼻で使われている取り巻きが数人。
そして、いつもからかわれている、弱虫が数人。
なんとも、いやな集団が出来上がっていました。
不運なことにそのボスの家とは近かったので、
遊びに誘われることもしばしばでした。
遊びに誘われても、本当は行きたくなかった。
でも、からかわれては大変という思いがあって、
極めて消極的に参加するのでした。
それまで、私にとって、学校とは、ただただ、
楽しい場所だったのに、本当につまらない場所
になってしまいました。
だんだん、私の位置づけが、そのボスグループの
一員のような感じになってしまいました。
扱いが子分的な感じで、イヤでイヤでたまり
ませんでした。
子供ながらに私の
プライドは、日に日に傷つけられて
いったのです。
そして、ある日。
ひょんなことをきっかけに、
私の怒りは頂点に達し、私はボスに殴りかかったのです。
彼は殴り返してはこなかったものの、
彼の怒鳴り声を覚えています。
しかし、その後の日々は、ひどいものでした。
クラスの誰も口を聞いてくれなくなったの
です。
誰も私に近寄らなくなりました。
仕方なく、ひとりでいると、子分たちが
嫌がらせをしてくる。
そして、その嫌がらせは、だんだんエスカレートして
いきました。
ある日、私が一人で離れて掃除を
している時のことです。
グループ一番の弱虫が私の背中めがけて、
力いっぱいの飛び蹴りをされたことがありました。
数メートル先に飛ばされ倒れこんでしまいました。
彼は私に飛びかかる寸前
「ごめんね」
と私い誤りながら、蹴ってきたのでした。
背中の痛みと悔しさで、
たまりませんでした。
でも、私は、何事もなかったように
立ち上がり、掃除を続けたのです。
自分なりの抵抗でした。
でも、もう限界でした。
私は鍵っ子でしたので、母が会社に
いくまで近くで身を潜めていて、
学校を休むようになりました。
そして、
いつしか
「死にたい」
「死にたい」
「死にたい」
とノートに書き殴っていました。
そして、「イジメ」という言葉は
独特の響きをもった言葉として
身体の中に刻まれたのでした。
マネジメントとコミュニケーションの
専門家、決断コンサルタントの木村英一でした
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