
死を思え!
朝活で曽野綾子さんの「老いの才覚」の「死を慣れ親しむ」を読み「メメント・モリ」という言葉を連想しました。
「だれもがいつかは必ず死にます。老いと共に、長い時間をかけて部分的に死んでいきます。死は願わしいことではありませんが、必ずやってきます。願わしくないことを越えるには、それから目を逸らしては解決できません。死は確固としてその人の未来ですから、死を考えるということは前向きな姿勢なのです。走れなくなったり、噛めなくなったりすることも、死ぬべきうんめいに向かっているのだということを、ちゃんと自覚したほうがいい。自分がそうなる前から、そうなった時のことを考えるのが、人間と動物を分ける根本的な能力の差であることを思えば、私はやはり前々から、老いにも死にも、慣れ親しむほうがいいように思います。死を認識すれば、死ぬまでにやりたいことが見えてきます。とにかく死ぬまでにやりたいと思うことを明瞭に見つけて、そちらの方向へ歩いて行く。そして、ある日、時間切れで死んでしまう。だれでも最後はだいたいそういうものです。しかし、いいこと、おもしろいこと、凄いことをやる人は皆、心のどこかに確実に死の観念を持ち続けていたような気がします」
まさに私どもが開催している「終活セミナー」の運営理念です。死は生の延長線です。終着駅は始発駅。終わりではなく始まりなのであります。
「この生涯はほんの短い旅にすぎません」