
コップ一杯の水が目の前にあります。これから飲みます。自分の意思でこの水を飲もうとしているけれども、このガラスのコップをつくってくれる人がいなければ、水をくむことができません。ガラスのコップのおかげで水が飲めます。そのガラスのコップがあるのも珪砂という原材料をとってきてくれた方がいたからです。自分だけでやっていることは何ひとつないということです。水そのものも雨が空から落ちてきて、自分がつくったものではないということです。当たり前が当たり前でなく感じるようになったときに「おかげさま」という言葉が自然に出てきます。有り難う。