「青森大空襲」の日 | motoの徒然なるままに…Ⅱ

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日々是好日日記
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青森空襲68年目の夏!奈良恵代子さんの青森中心部の地獄絵巻を東奥日報一面で読んで平和の有り難さを噛み締めました。

昨年の大空襲の日には職場体験を引き受けた東中学校の生徒3人と一緒に空襲展や平和公園など回り勉強しました。平和都市宣言を発した青森市民として語り継いで行く義務があると思います。

1945年7月28日~7月29日にかけて青森県青森市が受けた空襲のこと。東北地方で最多の犠牲者を出した。北海道産の石炭の本州陸揚げ港であった港町を狙った空襲である。

7月28日21時15分、青森県地区に警戒警報が発令。それから間もない22時10分に空襲警報が発令。この頃、前進基地の硫黄島を離陸したB29は、仙台湾から男鹿半島へ抜け、鰺ヶ沢町附近から青森市に向った。 そして暗闇に包まれた青森市に現れた62機(内1機は投下失敗)のB29は、照明弾で市内を照らしたのち、22時37分、焼夷弾の投下を始め、23時48分まで続いた。M74六角焼夷弾38本を束ねた2186発のE48焼夷集束弾が投下され、83000本もの焼夷弾が降り注いだ。青森市立橋本小学校付近に居た人たちは一気に浦町駅(現在の平和公園)の方向へ逃げていった。
B29は爆撃が終わると、基地のあるテニアン島へ帰還した。7月29日0時22分に空襲警報が解除された。
死傷者1767名。焼失家屋18045戸(市街地の88%)。罹災者70166名。(諸説有り)

「今日という日」
あなたがくだらないと思っている今日は、昨日亡くなった人がなんとかして生きたかった、なんとしてでも、生きたかった今日なんです。今日はそんな日なんです。今日、あなたとこうして出会えたことに感謝します。(趙昌仁「カシコギ」)