
男と女がいる。
男は70歳で、女は30歳である。男は禅僧であり、女は尼僧であった。
良寛さんと、絶世の美女と言われた貞心尼のことであります。ふたりながら仏につかえる身で、それも40歳という年齢差のある男女に、スキャンダルとしての視線を向けるのでなく、その愛の行方をなぞろうと思いました。だから、書き出しは原初のかたちとして、男と女がいる…。瀬戸内寂聴が小説『手毬』に書いております。
我が生(しょう) 何処(いずこ)より
来たる去って
何処にか行く
「我が命はどこから(何の為にこの世に生まれて)来たのか。(何の為に生きているのか。そして、やがて)去ってどこに行くのか」常に無一物で生きた良寛は、その慈愛を思わず落とす涙でしか表せない時も多かったのです。この世に生きている間その慈愛の心を持ち続けた人でした。良寛さんは自然を、人を、特に純真で素朴な子供たちを愛しました。同時に自分に害を加えようとする人や盗人さえも愛しました。美しい花々や庵の小道の雑草を、小動物、鳥、昆虫を愛しました。さらに、その慈愛は生命あるものすべてに及びました。良寛さんのような観察眼と繊細な感性を持ち続けたいものです。
子らや子ら子らが手を取る躑躅かな