3日は「桃の節句」。江戸時代初期、貴族らの人形遊びと結びつき、雛飾りをして、女児の無病息災を祈る形ができたそうです。災厄を人形に託して川や海に流す「流し雛」がひな祭りの原型といわれます。
塙や土偶も身代わりだという説もあります。三内丸山遺跡から出土された板状土偶のほとんどの体の一部が破損されているのは、この身代わり人形ではないかと聞いたことがあります。これは私の持論ですが「ねぶた祭り」も「流し雛」が起源ではないかと思います。
罪や穢れもねぶたに託して海(昔は河川)に流して、黄泉へ送ったのであろう。
だとしたら、すべてのねぶたを海に流さないと災いが起きるではないか…。
今、一度、海上運行のあり方を再考してみるのもいいかも。「ねぶた流れろ、マメの葉、とっちぱれ!」