「耐えるということ」 | motoの徒然なるままに…Ⅱ

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日々是好日日記
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🟦耐えるということ🟦(日野原重明先生)
 
 「人は、耐えることを自由を奪われたことのように思っています。」

つまりは、耐えることは自由を奪われたことではないとおっしゃっているのですが、医者の立場として、病気(英語で患者はペイシェントpetient=忍耐する人という意味宇)についての言葉です。「耐えることを自ら選び取って病を耐えたとき、たとえからだは病によって自由を奪われたとしても、その人の内面は心の大きなゆとりを体験します。これほど豊かな、何ものにも束縛されない自由はありません」。

内面の自由。それこそ人間としての高みに立つことだと言われているのですね。なにも病に限ったことではありませんね。境遇とか運命、苦難・・・あるいは不幸と思うようなこと・・・。

「なぜ私がこんな目にあわなければならないの?」そこに留まっている限り、自由は見えてこないのですね。でも、人の心というのは、希望を生み出すというすばらしい力を持っています。冬の中にこそ、厳しい寒さの中にこそ、春を見つけるのが得意なのですから。