「コロナより恐ろしい人」 | motoの徒然なるままに…Ⅱ

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日々是好日日記
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コロナ患者さんは、指定された医療機関に収容(入院)されます。


志村けんさんの報道でもわかるように、家族でもお見舞いはできません。病院の担当者を通じて情報は伝えられかもしれませんが、重要な事でない限り、お伺いがしにくいのが現状だと思います。


治療によって退院できると良いのですが、東京都の会見のように、そのスピードは速くて、残念ながら、そのまま息を引き取った場合、普通だったら家族に危篤の連絡があり、駆けつけて、その最後の看とりもできますが、コロナの患者さんは、危篤になっても病室へ行けませんし、亡くなってからも会うことができません。


亡くなるとご遺体は、病院内で分厚い真っ黒な非透過性の袋に入れられ、棺へ収められます。棺も病院によっては、テープなどで頑丈に密閉され、家族が開けることもできません。


あとは火葬場に運ばれます。通常は24時間以内は、火葬はできませんが、コロナの場合は、それも状況によっては許されます。


地域の指定された火葬場に運ばれ、日中ではなく16時以降に火葬されます。家族の立ち会いを認めないこともあります。


その後の収骨は、家族の立会いがなくても職員と葬祭業者だけで行うこともできます。


お葬式は?と思うかもしれませんが、行政機関や火葬場からは、死亡から火葬までの内容については指導はありません。手袋、アルコール消毒をして、お別れをする選択は自由ということです。しかし、雰囲気的にそれは許されない現状かもしれません。


31日には、愛媛県で葬儀に参列した会葬者がコロナ陽性に感染したそうです。
葬儀では、初めての報告です。


現実的な問題として、家族が「葬式をしたい」と言っても、葬儀屋さんや葬儀会場主、司祭者から断られるかもしれませんし、ましてや親族、家族の中でも、さまざまな意見が出るでしょう。


気持ち良く葬儀ができない・・・。喪主さまの孤独さが伝わってくるようです。


もし、家族がコロナで死ぬと「死に目にも会えない」「死顔も見れない」「お別れもできない」「葬儀もできない」そして、棺の中にいる方が、本当に家族なのかを確認することもできない状態で、お骨となって帰ってくるのです。


しかも「火葬許可証」という書類には、必ず死亡の死因が表記されています。それには「感染症」「その他」の項目しかありません。昭和の古い時代に多かった「感染症」という死因・・・。


その頃から行政は、書類を更新していないので、いまは「その他」に○がしてありますが、まさか令和の時代にあって「感染症」に○がついてしまうとは、行政の先見性でしょうかね・・・。


ご遺族として、「病院にも行けない」「なにも確認できないまま、家族が死んだこと」「手元の届くのはお骨だけ」という考えられない現実に遭遇するのです。


何を言いたいかというと、感染を広げないために「一人ひとりの心がけ」が大事だと言うことです。「正しく」怖がるということです。


無症候性の感染者も少なくないことから、感染者数の急激な増大にリアルタイムで気づくことができないのがこの感染症の怖いところです。


「自分は、大丈夫だろう」という根拠のない思い込みで無自覚な人もいます。そんな人がコロナに感染するのは自業自得で、なんの情けもありません。


ただ、それによって家族や仲間が、知らない街の人たちが感染して、もし亡くなってしまったら、さまざまな怨念と憎悪、後悔などが渦巻き、葬儀さえできない状態が続けば、不成仏霊が暴れまくり、経済が発展しようが、そこには必ず「影」がつきまとうのです。


そんなことを望んでいる人は、誰もいないでしょう。だから、正しく気をつけてください。


コロナが怖いのではなく、人間の心が怖いのかもしれませんね。