
撫子はなぜ折れたぞよ折れたぞよ(小林一茶)
今朝も奇跡的に目が開きました。葬送ジャーナリスト碑文谷創氏の著作を読みました。映画「おくりびと」の久石譲さんの曲を聞きながら…。
家族は、家族の一員を喪失して遺族になります。「小さな死」を体験することになります。
葬儀が遺された者にとりグリーフワークの一環であります。家族葬が増えると、僧侶や葬儀社にはこれからもっとも求められる「心理的ケア」です。
死後だけではなく、生前から本人と家族のケアが求められるので医療介護従事者にも「グリーフサポート」が求められております。
だが、葬儀は遺族のためではなく、徹頭徹尾死者本人のためのものではないと無意味だと碑文谷氏は断言します。
最近、「葬」の文字をじっと見つめることが多くなりました。何のための、誰のための葬儀なのか?仕事を通して自問自答している日々です。